第一章 教会の秘密(2)

 帝都教会で少年少女が衝撃の事実を知った、数日後。昼休みを迎えたクレメンツ帝国学院には、学生たちの笑い声と話し声が満ちている。
 高等部『武術科』剣術専攻の生徒たちは、たいてい昼食を勢いよく平らげた後、自主鍛錬や外遊びに出かけていく。午後一番に次の講義がある生徒の中には、教室に先回りして本を読む者もいるが、少数派だ。
 ステラ・イルフォードは多数派にも少数派にも混ざらず、窓の外をながめていた。廊下の端、広く空間が取られた場所に置かれた長椅子。座り心地のよいそれを使っているのは、今のところ彼女だけだ。
 流れのはやい鉛色の雲を見つめる。脈絡なく浮かぶ記憶を弄ぶ。そうしていると、生徒たちの流れに混じって、聞き覚えのある足音が響いてきた。ゆったりした音と、速い音、二人分。
「やっほーい! ステラー!」
 甲高い叫び声が聞こえると同時、ステラは窓から視線を外し、重い物を受け止めるための姿勢をとった。瞬間、赤い影が彼女めがげて突進してくる。
「ぐえっ」
 うめきつつも衝撃に耐えたステラは、すぐさま赤い影――もとい赤毛の少女を引きはがした。
「ちょっとブライス。だんだん容赦がなくなってきてない?」
「へっへっへ。ステラにはいっつも避けられるからさ。気合入れちゃった」
「変なところに気合を入れなくてよろしい」
 ステラは、力を込めずに赤い頭をはたく。歯を見せて笑ったブライス・コナーは、軽やかに着地した。少し遅れて、レクシオが普段と変わらない歩調で彼女に追いつく。
「レク、一緒にいたんなら止めてよ」
 ステラが苦言を呈すると、レクシオは「悪い」と頬をかいた。珍しいことに、やや目が泳いでいる。
「止める前に飛び出していかれたんですよ。いや、俊敏すぎてびっくりしたわ」
 湿っぽい視線は、幼馴染から少女へと移った。にらまれた当人は悪びれないどころか胸を張っている。ステラとレクシオは、顔を見合わせて苦笑した。
 ふいに、ブライスが顎を突き出す。榛色ヘーゼルの瞳がステラの腰あたりを捉えた。
「そういえばさ、ステラ。剣はどうすることにしたの?」
 無邪気そうに響く問いに、ステラは目を丸くする。それから、苦味と気まずさの入り混じった微笑を口の端に乗せた。
「作り直しになると思う。費用については……兄上と相談中……」
「あーそっか。武器が自前の人って、こういうとき大変なんだねえ」
 ブライスが問うたのは、冥府神殿の戦いで折れた剣のことだ。神剣の片割れも未だステラの手もとにあるが、あれは気軽に振り回してよいものではない。普段使い用の武器も早く新調したいところだ。しかし、そのために解決しなければならないことも多かった。特に問題なのはずばり、お金だ。
『武術科』の生徒の中で、入学や進級時点で自前の武具を用意できない生徒には、学院から必要なものが支給される。それは学院の物なので、新調するときや卒業の際には返さなくてはならないが、代わりに修理費の大半を負担してもらえる。一方、ステラのように自分で武器などを用意した生徒は、修理や買い替えの費用も自分で出さなければならない。申請すればいくらか補助金が出ることもあるが、ないよりはまし、程度のものだ。
「はあ……あんなきっぱり『跡継ぎにはなりません』って言った後で、家族を頼ることになるとはなあ」
 ステラは思わず頭を抱える。兄に宛てた手紙を書いているときの苦々しさが、じわりとよみがえってきた。
 その場で軽く飛び跳ねていたブライスが、首をひねる。
「えー? むしろいいことじゃない?」
「いいかなあ」
「『かんどう』されるかもってびくびくしてたときよりはずっといいでしょ。ねえ、幼馴染くん?」
 話を振られたレクシオは「うわびっくりした」とのけぞっていたが、すぐにいつもの表情でうなずいた。
「まあ、そうだな。ちゃんと連絡できるようになったのはいいことじゃね? つーか、『親が出してくれるなら甘えちゃいなよ』って俺に言ったのはどこの誰だったっけ?」
 自分の発言を持ち出されて、ステラは言葉を詰まらせる。少し黙ったのち、両手を挙げて降参の意を示した。
「ええ、ええ。そうですね。二人の言う通りだわ。今回は兄上たちに甘えることにする。色々落ち着いてる今のうちに、段取りつけとかないといけないしね」
 彼女の言葉に、二人の学友は顔を見合わせて笑う。けれど、すぐにレクシオが表情を引き締めた。
「エドワーズさんからの連絡は、まだないんだよな」
「うん。何も来てない」
 小声での確認に、ステラも小声で答える。
「まあ、時間はかかりそうだよな。まともな手がかりがないし」
 軽く天井を仰いだレクシオの言葉に、少女二人も眉を寄せた。
 ヴィントからの伝言にあった、帝都第一――ラフェイリアス教・帝都第一教会――に眠るものについては、ひとまずエドワーズの方で調べてもらうことになった。レクシオの言うように手がかりらしい手がかりはないのだが、手始めに名前が挙がっていたほかの教会の情報と照らし合わせてみるという。
「なんか、おおごとになりそうだよね」
『調査団』よりやや遅れてこのことを知ったブライスが、片足を揺らしながら呟く。ステラとレクシオは、同時にうなずいていた。示し合わせたつもりはない。
「どこまで話が広がるやら」
「……って考えたら気が重いけど。とりあえず、エドワーズさんに任せるしかないよね」
『翼』たちがかぶりを振ったところで、ブライスが声を上げて振り返る。先ほどまでとは生徒たちの流れが変わったことに気づいたらしい。「そろそろ講義室いこっか!」と言うなり駆け出した。ステラとレクシオはそれぞれ苦笑して、彼女の後を追った。

 まどろむような日常に変化があったのは、二日後の宵のことである。
 孤児院に戻って課題と戦っていたステラは、今日の分が一段落すると、思いっきり伸びをした。それからつい、机に突っ伏す。
「あー! やっと終わった……。レクがいないと時間かかるなあ、やっぱ」
 ぽろりと愚痴めいた言葉がこぼれる。きゅっと唇を引き結んだステラは、起き上がって頬を叩いた。
「いかんいかん。いつまでも頼り切ってちゃだめだ、って思ったばっかりなのに」
 こういうとき、自然と思い出すのが冬期休暇のことだ。『金の選定』直後で、幼馴染が寝込みっぱなしだった期間。こみ上げる苦味に眉を寄せたステラは、せわしい手つきで筆記用具を片付け、鞄を部屋の隅に放る。三度ほど扉が叩かれたのは、そんなときだった。部屋の主が勢いよく返事をすると、院長――ミントおばさんが顔をのぞかせる。
「ステラ、今大丈夫かしら?」
「あ、うん!」
 おっとりとした問いにうなずいて、ステラはすっと立ち上がった。そのときに体で部屋の奥を隠してしまったのは、ほとんど反射だった。
「ごめんね、子供たちのこと、任せちゃって」
「いいのよぉ。勉強中だったんでしょう?」
 ふっくらとした顔に笑みを咲かせたミントおばさんは、その調子のままで続ける。
「それはそれとして。ステラに伝えることがあるの」
「伝えること?」
「ええ。エドワーズ神父からの伝言」
 ステラははっと目をみはる。彼女の反応に気づいているのかいないのか、ミントおばさんは「さっき市場でお会いしたのよ」と楽しそうに語っていた。
「そ、それで、伝言って?」
「ああ、そうそう。『探し物について、お伝えしたいことがあります。できれば明日、みなさんと教会にお越しください』だそうよ」
 ステラは両方の拳を握った。大声を上げそうになるのをこらえて、空気と感情をのみこむ。それから、はっきりうなずいた。
「わかった。……明日、朝から出かけるかも」
「いってらっしゃい。夕飯の準備までには、帰っていらっしゃいね」
「うん」
 ミントおばさんは詮索せず、ただにこりと笑った。……かと思えば、悪戯っぽくステラの肩を叩く。
「このところしょっちゅう神父様と会っているのね。ラフェイリアス教のお勉強?」
「う、うーん。そんなとこ、かな!」
 ステラは、なんとか笑みを作って答える。けれど、うまくごまかせている自信はまったくなかった。案の定、ミントおばさんは「あらあら。まあまあ」と含みのある反応をする。しかしながら、それ以上は追及せず、一階へ戻っていった。

 翌日、宣言通り早くから街に出たステラは、ひとまず学院の方へ足を向けた。レクシオをはじめとする寮生たちと、伝言を共有しようと考えたのである。しかし、彼女が学院に辿り着く前に、探し人がむこうからやってきた。
「よ、ステラ」
「おはよう! 今日はいい天気だね!」
「よーっす」
「お、おはようございます」
「……おはよう」
 中央広場付近で合流した『調査団』の四人とオスカーは、散歩中に知り合いと出会ったかのような調子で挨拶してくる。目を丸くしているステラの肩をレクシオが軽く叩いた。
「もしかして、みんなも伝言受け取ったの?」
「おう。アーノルドさんが、こっそり教えてくれた」
 なるほど、とステラは手を叩く。学院には、警備員に扮した憲兵隊専任捜査官がいるのだった。先日の報告で彼のことを知ったエドワーズが、なんらかの方法で伝えたのだろう。
「多分、ナタリーの方にも知らせは行ってると思うけど……」
「どうしようか?」
 ステラはジャックを振り返る。『調査団』団長は、即答した。
「一応、迎えにいこう。今みたいに、途中で遭遇するかもしれないけれどね」

 果たして、彼の言葉は的中する。エンシア家へ向かう途中でその一人娘と合流した一行は、結局そのまま教会へと進路を変えた。
「ナタリーさんはどのように伝言を受け取ったんですか?」
「んーとね。昨日の夕方、エドワーズさんから直接聞いた。買い物の帰りにばったり会ってね」
「なあんだ。ナタリーが一番に知ったってことか」
 そんな会話をしながら歩いていたので、目的地まではさほど時間がかからなかった――ように感じた。見慣れた建物が視界に入ったところで、ステラは両目をしばたたく。
 ひっそりと佇む教会。その前に人影があった。裾に銀の刺繡が入った黒衣。それだけで、人影の正体を看破する。
「エドワーズさん?」
 ステラが思わず呼びかけると、彼は顔を上げた。それまで規則的に動かしていた手を止めて、棒状のものを壁に立てかける。
「おはようございます、みなさん。来ていただけてよかったです」
「こちらこそ、お知らせ助かりました」
 やや緊張しつつ答えたステラに続いて、ほかの六人もそれぞれに挨拶を返す。ほほ笑んだエドワーズは「すぐに片付けてまいりますので、中でお待ちください」と言って、棒状の物――すなわち箒を持ち上げた。
 学生たちの一行は、礼拝の間でお行儀よく待った。さほど長い待ち時間ではなかっただろうが、静謐な空間で口を閉ざしていると、時の流れが遅く感じるものだ。ステラがそわそわしだした頃、エドワーズは戻ってきた。
「ひとまず、資料室にご案内します」
 箒の代わりに小さな鍵と角灯を持った彼は、学生たちにそう声をかけて、いつかのように案内した。その道すがら、常と変わらぬ調子で話を切り出す。
「レクシオさんのお父君から頂いた伝言についてですが――詳細を伏せて、指定されていた教会に問い合わせてみました」
 何人かが、おおっ、と声を上げる。ステラは思わず前のめりになった。
「ど、どうでした?」
「ひとまず、『各教会に共通して置いてある物品』を探ってみたのですが……みなさん、すぐには思い至らなかったようです」
 エドワーズは苦笑する。表情と態度に落胆の色をにじませた学生たちを振り返り、片目をつぶった。
「ですが、各々の空き時間に会議と調査を重ねていただけまして……その結果、あることがわかりました」
「そ、それは……?」
 ステラとミオンの声が揃う。エドワーズは前を向きなおして、つかの間足を止めた。
「帝都第一、セント・ヴィリア、ディノ、リーリス、ロアンナ――これらの教会には、ラフェイリアス教初期のものと思われる遺物や美術品があるのです」
 つかの間、沈黙が落ちる。その中で、ミオンが顔をしかめてささやいた。
「遺物や、美術品……」
「というと、つまり……なんです?」
 それを継ぐかたちで、ナタリーが純粋な疑問をぶつける。神父はそれを笑うことなく、丁寧に拾ってくれた。
「当時の儀式などに使われていた道具や、神話を伝える絵など、ですね」
 規則的に鳴っていた靴音が止まる。資料室の古いながらも磨き上げられた扉。エドワーズはそれを、数日前とさして変わらない調子で開けた。学生たちを振り返った彼は、やわらかく目を細める。
「今日は、この教会にある品をみなさん――特に、ステラさんとレクシオさんに改めて見ていただきたいのです」
 名指しされた二人は、互いに目配せして、首をかしげあう。しかし、エドワーズがそれ以上のことを言わずに歩き出したので、慌てて後を追った。
 神父と、彼に案内されている学生たちは、書棚の森を分け入っていく。そして、壁際に辿り着いた。目の前には小さな扉がある。それは、一部の人々にとって、懐かしいものだった。
 エドワーズが手にした鍵を扉の鍵穴に差し込んでいる。鍵穴があったということに、ステラは初めて気がついた。そして、彼が見せようとしているものに思い至る。
「あの、エドワーズさん。帝都第一ここにあるものって、まさか……」
 神父は、彼女たちを肩越しに振り返ってほほ笑んだ。かと思えば静かに扉を開け、学生たちを先に通す。
 小部屋に踏み入った少年少女の反応は、大きく二つに分かれた。息をのんで立ち尽くす者と、眉間にしわを寄せて黙り込む者。――ステラは、後者だった。
「ステラさんの予想された通りです」
 扉が閉まる。背後からの光がさえぎられ、暗褐色の闇が彼らを覆った。角灯の小さな明かりだけが、暗い視界を照らし出す。
 前に進み出たエドワーズが、角灯を壁に向けて掲げた。
「帝都第一に眠るもの――それはおそらく、この壁画です」
 まるい光が、壁の色彩を浮かび上がらせる。それは、『女神の選定』を描いているとされる壁画だった。