第一章 教会の秘密(4)

 果たして、ステラたちはその日のうちにセント・ヴィリア教会へ出向くことになった。エドワーズ神父の連絡を受けたあちらの神父から「ぜひこちらでも検証していただきたい」との返事をいただいたのだ。
 何度か近くまで行ったことがあるというトニーの先導で、七人は帝都を駆けた。決して時間に余裕があるわけではないから、文字通り全力疾走する羽目になった。
 帝都の真ん中より、ほんの少し北寄りの地。中央通り付近の一角を陣取るセント・ヴィリア教会では、連絡を受けた神父が待っていた。灰色の髭を生やした小柄な神父は、汗だくの学生たちを快く迎えてくれる。
「エドワーズ神父より事情はうかがっております。どうぞ中へ」
 にこやかに扉を開けてくれた彼に礼を言い、ステラたちはそろりと中へ踏み込んだ。
 外観は貴族の邸宅のようだったが、一歩中へ入ると教会だと一目でわかる。彼らを出迎えた礼拝の間は、いつも訪れる帝都教会よりも広かった。天井の高さは同じくらいか、やや高いか。壁は白く、扉や出入口の周囲は白銀の装飾で縁取られていた。ドーム型の天井には神話の一場面を描いた絵画がある。そしてやはり、最奥には女神像が建っている――が、ここの像は、今まで見てきたものとは少し違った。翼を持った女神が、誰かを抱きしめているように見える。
「あれは――」
 ステラが思わず足を止めると、神父が嬉しそうに教えてくれた。
「ああ、ラフィア神とソロネ神の『抱擁の女神像』ですね。ラフィア神がソロネ神を旗下の神とお認めになったときの姿を彫ったといわれております」
「ソロネ神……?」
「『ラフィア神の一番弟子』とも称される女神です。天体の運行と、それにまつわる生き物の営みを見守っているとされています」
 変わらずにこやかな神父の横で、ステラはじっと像を見上げる。ソロネ神、耳慣れない名前を胸中で繰り返す。なぜだろうか、その名を聞くと少し胸がざわついた。
「さて、遺物がある場所までご案内します」
 その一言を聞いて、ステラは我に返る。ぞろぞろと神父についていく少年少女は、新たな神の名に思うところはないらしい。ステラは片翼に目を向けてみた。彼の表情も、いつもと変わらなかった。
 神父が案内してくれたのは、やはり教会の奥だった。ただし、帝都教会で言う資料室のような場所ではない。祭壇の脇を通り抜けた先、やや奥まったところにある小部屋だった。
「こちらは、祭具などを保管している部屋です」
 扉の鍵を開けながら、神父が説明してくれる。穏やかな態度を崩さない彼の後ろで、ステラたちは顔を見合わせた。そんな重要な場所に踏み入っていいのだろうか、という不安が、全員の表情にありありと浮かんでいる。
 実際のところ、部屋へ入るのは神父とステラとレクシオの三人だけになった。関係者だからというわけではなく、単に部屋が狭くて入れる人数が限られていたからである。残りの面子は、礼拝の間から中を覗き見る格好になった。
 神父は、部屋の奥にある小さな箪笥の前に立つ。その一番下、引き出しの鍵穴に小さな金色の鍵を差し込んだ。鍵が回ると、かちゃり、と小さな音がする。彼は引き出しを慣れた手つきで開け、その奥から箱を引きずり出した。
「これが……セント・ヴィリアに眠るもの、ですか」
「おそらくは」
 神父は、ステラの問いに穏やかにうなずく。両手で抱えていた箱を静かに置いて、その蓋を開いた。中には布がびっしりと詰まっている。布を丁寧に外していった神父は、ステラとレクシオに呼びかけた。
「当教会で保管している遺物は、こちらです」
 二人は、神父の隣からそっと箱の中をのぞく。揃って目をみはった。
 箱に収められていたのは、一振りの剣である。クレメンツ帝国学院で支給される長剣よりは短いが、短剣というほど短くもない、奇妙な剣であった。鞘から柄に至るまで、繊細な金細工がほどこされており、ところどころに宝石の輝きも見えた。
「儀式剣です。冬の大祭の原型となった祭事のときに、高位の神官が携行したものといわれております」
 真剣な表情の『翼』たちに向けて、神父が説明してくれる。覚えのある祭りの名前が出てきたことで、部屋の内外の視線がステラに集中した。レクシオだけが、すぐに視線を逸らし、神父を見やる。
「触ってもいいですか?」
「もちろんでございます。汚れ防止のため、手袋の着用はお願いします」
 そう言って、神父は一双の手袋を差し出す。帝都教会から連絡を受けた時点で用意していたのだろう。レクシオはそれを素直に受け取って両手に嵌めた。改めて剣と向き合い、骨董品でも扱うような――実際似たようなものだ――手つきでそれを持ち上げた。
 張りつめた空気の中、レクシオは儀式剣をながめまわす。ステラも横からのぞきこんだ。
「見た感じ、変わったところはなさそうだな」
 彼の呟きに、ステラは小さくうなずく。それから、少し肩を落としている神父を振り返った。
「これって、抜いてみても大丈夫ですか?」
「え……ええ。重いので気をつけてください」
 神父ははっとしてうなずいた。
 そのやり取りを聞いたレクシオが、左手で鞘をしっかり押さえ、右手で柄を握った。ゆっくりと外側に引く。飾り立てられた鞘の中から、鈍い輝きを持つ刃が現れた。剣を半ばほどまで抜いたとき、ステラたちは目をみはる。
「えっ」
「おお。今度はこう来たか」
 刃の中心付近に、うっすらと文字が『ある』。彫られているようにも、不自然に着色されているようにも見えた。
 ステラは再び、神父の方を振り返る。レクシオも、彼に向かって剣を差し出した。
「あの……ここに文字が刻まれているんですが、わかりますか?」
「文字、ですか?」
 目を丸くした神父は、恐る恐る顔を突き出す。剣を慎重に見つめた後、彼はかぶりを振った。
「いいえ……私には何も見えません」
 ステラとレクシオは顔を見合わせる。申し訳なさそうな神父をよそに、二人は小さくうなずいた。彼に見えないということは、これは壁画の文章と同類である可能性が高い。
 そう認識した瞬間、頭の中に文章が『流れ込んで』きた。
「『祈りを辿れ。祈りこそが道である』――」
 その文章を口に出す。二人の声がきれいに揃った。外で聞いていた学生たちは息をのみ、そばにいた神父が目を丸くする。
「そう、記されているのですか?」
「はい」
 ステラははっきりとうなずいた。けれど、すぐに目を伏せる。
「でも……何も起きないですね」
 レクシオが、しかめっ面で顎を動かす。軽く首をかしげた神父は、表情をかたくした二人を不思議そうに見ていた。けれどあるとき、足もとに視線を落とす。
「……おや?」
 怪訝そうにする神父に、学生たちの視線が集中する。儀式剣に見入っていた二人の視線も、わずかに逸れた。
「どうしました?」
「あっ。俺、なんかまずいことしました?」
 剣を持っているレクシオが、頬を引きつらせた。神父は「いえいえ! そうではなく!」と慌てて首を振る。
「箱の方に、少し気になる点がありまして」
「箱に?」
「はい。ここに……」
 ステラは素早くしゃがみこむ。神父が、箱に敷き詰められている布をめくって、内側を指さした。太い指を辿って、ステラは目をみはる。
「これ……焦げ跡、ですかね?」
「わかりません。いつの間にこんなものがついたのか……」
 ぼやく神父の横で、ステラはそれをまじまじと観察した。箱の内側についたこげ茶色の跡。彼女の手のひら半分ほどの大きさだ。焦げたようにしか見えないが、焦げる要素も見当たらない。セント・ヴィリア教会で火事や小火が起きたなどという話も聞いたことはない。そもそも、箱が焦げたなら、中身にも同じような跡がありそうなものだが、布はきれいなものだ。剣もむろん、無事である。
 ならば、これは一体なんなのか。思考を巡らせるステラは、無意識のうちに顔を近づけていた。そのとき、ふと、妙な感覚を覚えた。鼻先がちりちりして、頬が奇妙に熱くなる。暖炉の火に近づいたときのようだ。その感覚が示すものを――彼女は知っている。
「レク!」
 反射的にレクシオを呼ぶ。呼ばれた本人は「うわっ」と叫び、珍獣でも見るかのような視線をステラに注いだ。
「なんだよ、いきなり大声出して」
「ごめん。ちょっとこれ、見てもらいたくて」
 ステラは箱の跡を指さして答える。首をひねったレクシオは、神父に儀式剣を預けてかがみこんだ。彼もまた、その跡を見た瞬間は怪訝そうにしていた。しかし、すぐに眉をひそめる。
「なんだこれ。なんかまとわりついてるぞ」
『金の翼』の爆弾発言に、神父がひっくり返った悲鳴を上げる。ステラの方は平然としていた。それどころか、答え合わせができて安堵しているくらいだ。
「あ、やっぱり?」
「魔力か? いやでも、ちょーっと違うような……」
 レクシオは、右に左に首をかしげて跡を見つめる。それを四、五回繰り返したところで、眉を跳ね上げた。固唾をのんで見守っている人々を意にも介さず立ち上がる。かと思えば、神父に軽い調子で呼びかけた。
「神父さん。その剣、もう一回触らせてください」
「も、もちろん、構いませんが……」
 剣を差し出そうとする神父を、少年は手で制する。「軽く触れるだけでいいんで」と笑顔で言い添えた。次の時には笑顔が剥がれ落ち、緑の双眸が茫洋とした光を帯びる。
 ステラは息をのんだ。幼馴染がしようとしていることに気づく。瞳の変化は、魔導の一族の『継承術』発動の印だ。レクシオが扱うそれは、マグナール・オリガ――またの名を、読み取りの魔導術。
「レクシオさん!」
 部屋の外からこちらをのぞいていたミオンが、悲鳴を上げる。彼女もまた、同胞の意図に気づいたのだろう。ステラは「大丈夫」の意味をこめて少女に目配せする。それから、レクシオの肩を支えた。
 レクシオは、剣の柄に触れたきり、ぴくりともしなくなった。光をまとった瞳は剣に向けられたままで、不気味なほど動かない。さすがに奇妙だと思ったのだろう、神父がおずおずと口を開いた。
「……レ、レクシオ様?」
「すみません。少しの間、このままにしてください」
 剣を離してしまいそうな神父に、ステラはそう呼びかける。なおも不安そうな彼をまっすぐに見据えた。
「大丈夫です。剣を調べているだけなので」
 今度はそう、はっきりと言葉にする。ようやく神父の全身から力が抜けた。
 それからしばらく、誰もが息を詰めて一人の少年を見守った。祭具を収める部屋は耳が痛くなるほどの静寂に包まれる。
 変化があったのは、数分後。それまで微動だにしなかったレクシオが、突如全身を震わせ、頭を上げた。かと思えば、すぐに背を丸める。
「つっ――」
「レク!」
 そのままよろけたレクシオを、ステラはとっさに受け止めた。
 構えておいてよかった。彼を抱いたまま、彼女は深々と息を吐く。それと同時、レクシオは顔を覆っていた。
「くそっ。あの性悪女神、俺らがのぞきこむことすら織り込み済みかよ」
 悪態をつく彼は、普段の様子からは想像もできないくらいいら立っていた。ステラが目をみはっていると、その視線に気づいたのだろう、ゆっくりと体を起こす。
「あー……すまんね、ステラ」
「いや、あたしは大丈夫だけど。何があったの?」
「剣の記憶を探ったら、返り討ちにあった。しばらく目が見えないかも」
 レクシオは、目もとに手をやったまま、こともなげに言う。顔をこわばらせたステラをよそに、彼は神父の方を向いた。やはり、瞼は閉じたままだ。
「まあ、おかげで確証が得られた。――ありがとうございます、神父さん」
「い、いえ。お礼を言われるほどのことは……」
 目を泳がせて答えた神父は、二人の様子をうかがいつつ剣を箱に収める。
「ところで、確証というのは、一体?」
「ああ――」
 作業しながら問いかけてきた神父に、レクシオは皮肉っぽくほほ笑んだ。
「どうやら、俺たちの探し物はすでに奪われていたみたいです」