手入れと点検以外の理由で開けられることのない箱。それが、ふいに開かれた。
中をのぞきこんできたのは、女であった。彼女は箱の中から無造作に剣を取り出し、鋭く冷たいまなざしでながめる。ひとつ、ため息をついた後、鞘から剣を引き抜いた。『汚れのひとつもないはず』の刃に指を這わせると、早口で何事かを唱える。それは、呪文のようだった。そして、この地では使われていない言語だった。
言葉を唱え終わると同時、剣がまばゆい輝きを放つ。光り輝く文字の羅列が宙に浮かび、くるくると躍った。ほどなくして、文字たちはどこかへ吸い込まれるようにして消える。後に残ったのは、今までと少しも変わらぬ儀式剣と、鈍い光を放つ金属の板だった。
女は、床に落ちた金属板を一瞥する。それから丁寧な所作で儀式剣を箱に戻し、ついでのように箱の内側を指でなぞった。指と箱の狭間で火花が散り、箱に焦げたような跡がつく。彼女はそれを満足そうに眺めて、その箱を何事もなかったかのように箪笥にしまった。箪笥を閉め切った後に金属板を拾って、外から見えないところにしまい込む。
女はさりげない所作で箪笥に背を向け、部屋を去ろうとした。把手を握る直前、ふと顔を上げる。『こちら』をぎろりとにらみ、手をかざした――
※
「……それで目をやられた、と?」
「そういうことだな。いや、お恥ずかしい限りだ」
礼拝の間にて。訪客がいないのをよいことに、長椅子を陣取った一行は、儀式剣の記憶を読み取ったレクシオから詳しい説明を聞いていた。その締めくくりにオスカーがぼそりと呟くと、彼はおどけて頬をかく。振る舞いこそいつも通りだが、まだ両目を閉じている。
事態を把握した学生たちは、それぞれにため息をついたり、天を仰いだりした。緊張を吐息とともに追い出したステラは、無意識のうちに頭を抱える。幼馴染の危機と状況の悪さを思うと、頭痛がしてきそうだった。
「『まだ起きていないこと』に手を出したってこと? 反則技もここまでくると笑えないわよ……」
「いやあ。どちらかというと、『継承術』が使われることを見越して、剣か部屋に細工をしたんだと思うぞ」
うめいたステラに対して、レクシオはのん気に答える。もう一人の魔導の一族であるミオンが、「どっちにしろ無茶苦茶ですよ……」と泣きそうな声で呟いた。
「しかし、その女性というのは何者なのでしょう。我々の目をかいくぐってあの部屋に忍び込んだうえに、『翼』にしか取り出せない宝を持ち去るとは……」
話を聞きつつ学生たちを見守っていた神父が、眉を下げる。レクシオが、あー、と苦笑して頭をかき、残る六人は顔を見合わせた。しばしの逡巡の後、やはりエルデ家の少年が口を開く。
「多分、ですけど。副宰相さまですね」
「副宰相様……!?」
信じられない、とばかりに神父が目を剥く。だが、すぐに厳しい表情で髭をなでた。
「いやしかし……身内の裏切りでもなければ、副宰相様以外には考えられない、か……?」
「ん? どういうことっすか?」
耳ざとく神父の呟きを拾ったトニーが尋ねる。神父は、申し訳なさそうに顔を上げた。
「最近、礼拝の間以外の部屋を案内した方は、副宰相様と皆様だけなのです。一般の方はこちらにしか立ち入りませんし、そもそもあの部屋の存在自体をご存知ないはずです」
「ああ、なるほど」
ジャックとオスカーが、声を揃えて答える。一方で、ほかの面子はぎょっと顔をこわばらせた。ナタリーが、彼らを代表せんとばかりに身を乗り出す。
「ダレットが来たんですか!? いつ?」
「ええと……昨年の末ですね。毎年、年末には皇族や高官の方がいらっしゃって、一年の感謝と来年の繁栄を祈る儀式が行われるのですよ」
冬の大祭のようなことが、帝都でも行われていたということか。ステラたちは顔を見合わせ、それから深くため息をつく。
「えー、つまり。副宰相ことダレットは、その年末の儀式を利用してこの教会にやってきて、あの剣のことを突き止めた。んで、その日のうちにか別の日にかはわからないけど、神父さまたちの目を盗んであの部屋に忍び込んだ。そして、まんまと探し物を盗み出し、ついでに『読み取りの魔導術』対策も仕掛けていった、と」
トニーが気だるげに流れを整理する。それを聞いた一同の間に、冷たい沈黙が落ちた。そののち、ジャックが腕を組む。
「一本取られたね。『金の選定』のすぐ後に、セルフィラ神族は動き出していたわけか」
いつもの陽気さが感じられない声は、ただただ現実をステラたちに突き付ける。誰もが何も言えずに黙り込んでいると――教会の扉が開いて、足音がこだました。
「神父様! お待たせいたしました!」
甲高い声を響かせたのは、灰色のローブをまとった少年だ。ローブの裾には神父の服と同じ刺繍がほどこされているが、糸の色は白である。このローブは、見習いの証らしい。セント・ヴィリアの神父は、安堵と情愛に緩んだ顔を少年に向けた。
「ああ、おかえりなさい。どうもありがとう」
「はいっ!」
元気よく返事をした少年の後ろから、くすんだ金髪をもった男性が顔を出す。神官の衣をまとった彼は、大きな体を気まずそうに丸めた。
「申し訳ありません。肝心なときに不在にしてしまって」
「いやいや、気にしないでください。元々予定されていたことですし」
この神官は、セント・ヴィリア教会に常駐しているのだという。祭具の部屋を出てすぐ、レクシオを心配した神父が彼に診察を頼もうとした。が、彼は別の教会に出かけていたので、急遽見習いの少年に呼びに行かせたというわけだ。
しかし、少年が連れてきたのは神官だけではなかった。ぼうっと彼らのやり取りを見ていた学生たちは、もう一人の人物に気づいて目をみはる。
「エドワーズさん!?」
ステラが真っ先に叫ぶ。名前を呼ばれた帝都教会の神父は、少し表情をやわらげる。
「どうも、みなさん。先刻ぶりです」
「えっと……どうしてここに?」
「みなさんが出かけてすぐ、こちらの神官様を迎えてちょっとした会議をしていたのですが……そこに見習いの子がいらっしゃったんですよ。セント・ヴィリアで怪我人が出たと聞いたので、一緒になって飛んできました」
エドワーズは穏やかに語り、神官と目を合わせる。報告を聞いたときの彼らの慌てぶりが想像できて、ステラたちは頬を引きつらせた。
「それで、怪我人というのは……」
「あ、俺ですね。お騒がせしました」
目を閉じているレクシオが、いつもの調子で挙手する。怪訝そうな大人たちに、彼は何度目かの説明をした。エドワーズがわかりやすく青ざめ、神官は眉を寄せる。レクシオの前までやってきた彼は、一声かけてかがんだ。
「痛みはありますか?」
「今はないです。やられた直後に痛かったくらいで」
レクシオは軽い調子で答えた後、申し訳なさそうに付け足した。今は、という部分を拾って、神官が首をかしげたからだろう。ああ、と納得した神官は、一言断って少年の瞼に優しく触れた。
伝統的な診察の結果、レクシオの目には魔導術らしき攻撃を受けた痕跡があるという。ただし、女神の魔力があれば半日程度で回復するものらしい。
逆に言えば、女神の魔力がなければもっと時間がかかったということだ。最悪の場合、失明していたかもしれない。ステラはつい悪い想像をしてしまって、ぞっとした。ただ、実際は喜んでいい状況だろう。ステラが自分を落ち着けている間に、話は少しずつ移ろっていた。
「ダレットたちがわざわざ動いたということは、教会に眠る品々は、やはり『道』の形成に必要なものなのかもしれませんね」
ここで起きたことを聞いたエドワーズが眉を寄せる。
「そして、あまり猶予がない、と」
「そうですね。もしかしたら、ほかの教会にもセルフィラ神族の手が伸びているかもしれない」
ジャックが真剣な面持ちで答える。元々の顔立ちが整っているだけに、そうしていると息をのむほどの迫力があった。『調査団』の面々とオスカーも、緊張に顔をこわばらせる。
「残りはディノ、リーリス、ロアンナだったか」
「できるだけ早く、『翼』の二人が向かった方がいいってことね」
オスカーの低い呟き。それを引き取るようにして、ナタリーが言う。二人を見比べて――正確には、声のする方に顔を向けて――いたレクシオがすっと右手を挙げた。
「それじゃあ、二手に分かれるか。俺とステラが別々の場所に行く感じで」
「じゃあ、俺らも二人にそれぞれついてくかー」
トニーが足をぶらぶらさせながら便乗する。ステラとレクシオは驚いて彼を見た。見られた当人は、あっけらかんとしている。
「一人だと、今回みたいなことが起きたときに大変だろ」
もっともだ。学友や神父たちも同じ意見らしく、しきりにうなずいていた。『翼』の二人は苦笑して、彼らを見回した。
「えーと、それじゃあ……ご協力、お願いします」
「もちろん!」
ジャックが胸を張る。オスカーが小さくうなずき、残る面々もそれに続いた。
話がまとまったところで、やはりジャックが膝を叩いて立ち上がる。
「それじゃあ、具体的な作戦会議をしようか。ここで話し込むのもご迷惑になるから、場所を変えて」
「でしたら、帝都教会の奥の部屋を使ってください。あのあたりなら、外部の方々はいらっしゃいませんから」
あっけらかんとエドワーズが提案する。そこまでお世話になってよいものか、と学生たちは思ったが、ほかに人の耳目を気にせず話せる場所はない。結局厚意に甘えることにした。
セント・ヴィリア教会の神父と神官に挨拶をして、ぞろぞろと部屋を出る。そのとき、ステラの耳に大人たちのささやきが飛び込んできた。
「エドワーズ神父。副宰相様……ダレットの件は……」
「すみませんが、ご内密にお願いします。ラフィーナへの連絡はこちらで行いますので」
ステラは思わず振り返る。エドワーズのこわばった横顔を、オスカーに肩を叩かれるまで見つめていた。