第二章 姉妹神の記録(1)

 帝都教会で大まかな作戦を立てたステラたちは、後日、教会に同行しなかった『ミステール研究部』の面々を交えて細かい打ち合わせをした。そこで、学生特有のある問題にぶつかることとなる。
「指定された教会に赴くこと自体には、賛成ですわ。ただ……この時期に長期間学院を抜け出すのは、さすがに難しくありませんか?」
 誰もが失念していた事実を指摘したのは、シンシア・ネリウスであった。第二学習室に集っていた少年少女は、彫像のように固まる。数秒間の乾いた沈黙の後、数人が手を震わせた。
「た、確かに……! うっかり試験の日と被ったら、進級に影響が……!」
「つーか、そもそもそんな長期外出のお許しが出ないよな。ディノくらいならともかく、リーリスやロアンナは結構離れてるだろ?」
 頭を抱えたナタリーの隣で、トニーが両足をぶらぶらさせた。彼の一言を受けて、寮生たちが難しい表情で考え込む。ステラもまた、低い声でうなった。
 シンシアの言う通りだ。ステラやナタリーのような通学組はまだしも、寮生たちは外出のたびに手続きをしなければならない。その期間が長くなればなるほど、やることが多くなり、許可を出す寮監の目も厳しくなる。それに、ナタリーが叫んだ通り、進級を控えた学生たちにとっては大事な時期だ。ステラとしても無視できないことだった。
「ぼくや『翼』のお二人は『宗教活動のため』でごまかせると思いますけど……全員がそれで抜けるのは、さすがに怪しすぎますからね……」
 カーターも不安そうに腕組みしている。左の人差し指が忙しなく腕を叩いていた。
「かといって、進級まで待っていたらセルフィラ神が降臨しかねないですし」
「どうしたものかな」
 ミオンが顔をくしゃくしゃにし、ジャックが全員の内心を代弁した。その後、『調査団』の根城たる教室は静寂に包まれる。気まずい空気を打ち破ったのは――この場の誰のものでもない一声だった。
「やあ諸君。話は聞かせてもらったよ」
 全員がぎょっとして振り返る。教室の扉がわずかに開いていて、そこに黒髪の男性が立っていた。上は白いシャツ、下は黒いスラックスを着ている。学生たちは、それが警備員の制服から上着と帽子だけを取ったものだと遅れて気が付いた。
「アーノルドさん!?」
「どうも」
 十人分の叫び声をうけてなお、警備員に扮した捜査官は動じない。ひらりと軽く手を振った。
「ご安心を。まわりに人はいないよ」
 厳しく目を細めた武術科生たちにそう言って、アーノルドは教室に踏み込む。後ろ手に扉を閉めた後、本題を切り出した。
「で、みなさんが心配している件についてなんだが。我々に任せてもらえないだろうか」
「えーっと。俺らが学院を抜け出すことについてっすか?」
「そう。上手いこと理由をつけて説明しておくよ」
 身を乗り出したトニーに向かって、アーノルドが片目をつぶった。相変わらず、不良のような顔と人好きのする笑みが妙に調和する人である。
 ともかく、大人の言葉に学生たちは顔を見合わせた。オスカーが、十人を代表してアーノルドに問う。
「説明するって……あんたがか?」
「いやいや。学院側とやり取りするのは、私の『上官』だ。私はただの伝令さ」
 ステラたちは、そこでやっと納得した。彼の『上官』――すなわち、第一皇子アーサーが動くということだ。
「それって権力の濫用じゃないですか……?」
「『今は大陸の、ひいては世界の危機だろう。使うべきときに使わないで何のための権力だ』だそうだ」
「あー。やる気ですねー」
 レクシオが乾いた笑いをこぼす。先日共闘した皇子の姿を思い浮かべているのだろう。ステラも釣られてくすりと笑った。
 アーサーたちがやる気なら、自分たちはそれに流された方がいい。そういう方向で話がまとまると、学習室の空気がいくらか緩んだ。
「よし。それじゃあ、あとは作戦通りにいこうか!」
「おおっ!」
 ジャックの号令を受けて、『調査団』の面々とブライスが拳を突き上げる。残る三人は、力強くうなずいた。

 学生たちが考えた作戦は、次の通りだ。
 まずは二手に分かれて、ディノとリーリスを目指す。ディノに行くのはレクシオ、ナタリー、ミオン、オスカー。リーリスに行くのがステラ、トニー、シンシア、ブライス。ジャックとカーターは帝都に残り、神父たちとともにロアンナへの連絡や帝都教会で見つかった『物』の見張りをする。
 二か所の教会で遺物なり美術品なりを調べ終わったら、一度帝都で合流する。報告と準備を済ませ次第、もっとも遠いロアンナへ向かう。全員で行くか人数を絞るかは、調査の結果とそのときの状況で決めようということになった。
 さらにステラは、出発前に根回しを行った。実家にロアンナ教会を訪問する旨を記した手紙を送ったのだ。
 ロアンナはイルフォード侯爵領の町で、ステラはイルフォード家の一員である。祖父と兄に事情を知ってもらっていれば話が進みやすいのではないか、と思ったのだった。町長や神父が領主の娘の来訪に慌てずに済む、というのもある。――今回のステラは、イルフォード家の娘ではなく『銀の翼』として動くつもりだが、誰もがそう簡単に切り分けられるわけではない。対策をしておくに越したことはないのだ。

 ディノの町には、帝都から馬車で半日行けば着く。鉄道こそ通っていないが、だからと言って困るほどの距離でもなかった。
 背の高い建物群が遥か後方へ遠ざかり、あっという間に畑と木々ばかりの景色になる。遠くに目を凝らしても、見えるのは平原ばかりだ。そんな中を行くことしばし、やや日が傾き始めた頃に馬車は止まった。
 形ばかりの停留所へ降り立ったレクシオたちのもとへ、見知らぬ青年がやってきた。少し息を切らせながら、田舎にそぐわぬ学生集団を見上げる。
「レクシオ・エルデ様とご学友の皆様でしょうか?」
「あ……はい、そうですが……」
 名指しされたレクシオは、どぎまぎと答える。この場ではみんなの代表になるのだと、遅れて気がついた。『選定』から間もない上に、最近はジャックやステラと行動することが多かったため、このような扱いには戸惑ってしまう。慣れないとなあ、と胸中で呟いているレクシオをよそに、青年は恭しく礼をした。
「ディノ教会の者です。神父様より、皆様のご案内を仰せつかりました」
「わ、助かります。ディノに来るのは初めてなので」
 顔をほころばせたレクシオの後ろで、学友たちもうなずいた。「よろしくお願いします」と声を揃えた彼らに、青年は礼を返して、だだっ広い村に伸びる一本の道を示した。
「それでは、ご案内いたします」
 青年の案内で、のどかな村の道を行く。大小さまざまな家が点在していて、植物もわんさと生い茂っている。一方、人影はまばらだ。農家らしき老人と一回、子供の集団と一回すれ違ったが、それきりだった。
 道中、レクシオたちは自己紹介と事情説明を改めて行った。そこらじゅうに響いても困るので、声はぎりぎりまで潜めた。そうこうしているうちに、ひときわ背の高い建物が見えてくる。――教会だ。
「あちらでございます。中で神父様がお待ちです」
 変わらず丁寧な口調で、青年が告げる。四人の来訪者は、誰からともなく表情を引き締めた。
 教会の扉はまだ開いている。青年が率先して踏み込み、中に声をかけた。すると、神父の黒衣を着た男性が出てくる。目もとや口もとに小さなしわが刻まれているが、まだ若々しい印象だ。彼は、レクシオたちに目を留めると、茶色い頭を下げた。
「ようこそおいで下さいました。事情はうかがっております。どうぞ中へ」
 セント・ヴィリアの神父やフィンレイ神官よりは静かな、けれど確かな崇敬の念を感じる。レクシオは居心地の悪さに頭をかきそうになって、とっさに手を止めた。手を後ろに回し、小さく頭を下げて青年に続く。学友たちも、小声で「お邪魔します」と言いながら教会に踏み込んだ。
「件の品は奥の部屋にございます。さっそくですが、ご案内してもよろしいでしょうか」
「はい。よろしくお願いします」
 レクシオが即答すると、神父はまた小さく礼をした。そして、学友たちを気遣いながら歩き出す。
 案内されたのは、セント・ヴィリア教会の祭具の部屋とはまた違う場所だった。レクシオたちからすると、よくわからない道具が置いてある部屋、という点では同じだ。神父は迷いない足取りで奥まで行くと、レクシオたちから見て右奥にある棚の前でかがんだ。ついてきていた青年に声をかけ、二人がかりで何かを引っ張り、それを学生たちの前まで運ぶ。
 それは、ずいぶん大きな物体だった。初等部の子供一人くらいなら上に乗れてしまうかもしれない。布などで何重にもくるまれていて輪郭がわかりづらいが、四角い物らしい。
「これがディノ教会の『もの』か」
「……でも、これ、なんですか? 祭具?」
 ぽつりと呟いたオスカーの隣で、レクシオはまごつきながら尋ねた。神父が静かにうなずく。
「ラフェイリアス教会成立当初に使われていたとされる祭具です」
 それだけ答えると、神父は再び青年に声をかけた。二人がかりで次々と布をはがしていく。その下から現れたものを見て、少年少女は目をみはった。
 黄金色に輝く四角い台座。中心には、鏡のような円板が嵌め込まれている。円板の次に目を引くはずの水晶は見当たらないが、それは、魔導士の卵たちにとって身近なものだった。
「これって、魔力計測盤、ですか?」
「そのもとになったといわれております」
 ひっくり返った声を上げたミオンに、神父が答えた。鏡のような輝きを保っている円板に、彼の穏やかな顔が映る。
「当時から、神々の存在を感じようと、様々な取り組みがされていたようです。特に『翼』の空白期にはそれが顕著でした。魔力計測盤のもとになったこちら――『降臨台』は、そんな取り組みの中で作られたものです。人々が身を清め、正しい手順を踏んでこの台を囲んで祈ると、ラフィア神族の分霊が降臨すると信じられていました」
「ぶ、分霊って……そんな考え方もあったんですか」
 ナタリーが顔をしかめた。正直、レクシオも聞き慣れない言葉と知らない歴史の話に面食らっていた。
 似たり寄ったりの反応を示す学生たちに、神父がほほ笑みを向ける。
「今ではすっかり廃れてしまった考え方ですが、当時は真剣に信じる人もいたようです」
「思想が廃れても物が残っているのは、歴史的価値があるからですか」
 顎に拳を当てていたオスカーが、ひっそりと問う。神父は曖昧に笑って、その場にかがんだ。
「それも理由のひとつではあるでしょう。が、それだけではないはずです」
 全員の視線がレクシオに集中する。見られた本人は、ぱちくりと目を瞬いた。その反応を笑う者はいない。ただ、神父がうかがうように尋ねた。
「『翼』にだけ見えるものがあるようだ、とうかがっておりますが……何かございますか?」
「ああーっと。少々お待ちくださいね」
 首をすくめたレクシオは、降臨台の前にかがみこむ。
 台座に変わったところはなさそうだ。中心の円板ものぞきこんでみるが、教会の天井と彼の顔が映るだけである。んー、と考え込んだレクシオは、魔力にも意識を向けてみた。すると、すぐ違和感に気づく。頭の隅を探られるような感覚。あるいは、体の裡を巡るものがざわめく感覚。
 源を辿って、レクシオは指を伸ばす。円板の中心に指が映った瞬間――その狭間で、小さな陽光が弾けた。
 周囲で叫び声が上がる。しかし、レクシオ自身は静かにそれを見つめていた。
 目の前が金色に覆われる。彼がまぶしさに目を細めたとき――音が聞こえた。
『ラフィアという名を得たものと、セルフィラという名を得たものは、それから少しずつ、己の分身を生み出していった』
 言葉を紡ぐ音。誰かの声ではない。あくまで、音だった。その違いを説明することは、レクシオにはできなかったが、確信だけはある。
『分身を少しずつ増やし、彼らに世界を動かす力と役目を与えた。彼らはやがて、人々から“神の一族”と呼ばれるようになった』
 声はそこで途切れた。
 金色の光が収縮し、その中に小さな輝きが現れる。レクシオは、とっさに手を伸ばし――思ったより大きなそれをつかんだ。
「い、今のは……」
「レク。なんか出てきた?」
 まぶしそうに瞼を動かしているミオンの横で、ナタリーが身を乗り出す。レクシオは彼女たちに向かってうなずくと、両手を広げた。
 神父と学生たちがそれをのぞきこみ、目を丸くする。
「これは……鏡、か?」
「多分な」
 頭を傾けたオスカーに、レクシオは短く答えた。そして、存外に重い『もの』を持ち上げる。
 手鏡よりやや大きい、円形の鏡だ。鏡面はなめらかで、一点の曇りもない。裏側には、翼と月と太陽を組み合わせた紋章のようなものが彫られていた。紋章のまわりを細かい模様が囲っている――かと思いきや、それらはすべて文字だった。今までの流れから考えると、先ほどレクシオが聞いた言葉が彫られているのだろう。
「ねえねえ、これ、なんて書いてあるの?」
 ナタリーが両目を輝かせる。レクシオは肩をすくめた。
「なんで俺に訊くんすか」
「だって。どうせあんた、『聞いてる』んでしょ?」
「さっきの音とこれとが、必ず同じだとは限らないんだけどな。……ま、いいか」
 何にせよ、情報共有はしておいた方がいい。レクシオは、鏡に彫り込まれた文字をなぞりながら、先ほど聞こえてきた『音』のことを語った。学友たちと神父たちが、戸惑った顔を見合わせる。
「分身? 役目? 何それ、どういうこと?」
「わたしも、よくわかりません……」
「『ラフィア神族』にかかわる話であることは、間違いなさそうですね」
 頭を抱える学生たちのかたわらで、神父が顎をなでる。彼は、しかめっ面の青年を一瞥して、呟いた。
「話を聞く限りでは、ラフィアの旗下の神々は彼女の分身体だったようですね。そして――神は元来、神ではなかった」
 青年がうつむく。学生たちが首をひねる中で、レクシオはうなずいた。どこぞの神学専攻の少年が聞いたら卒倒しそうだ、などと思いながら。
「正確には、人間が『彼女』たちを『神』と定義づけたんでしょうね。これまでに見聞きした文章の中にも、そんな話がありました」
 無意識のうちに、指が鏡の装飾をなぞる。今までのことを思い出したのか、ナタリーたちが目をみはった。
「でもさ、それを私らが知って何になるんだろうね。『道』と関係ある?」
「さあなあ。そこは、俺にもなんとも」
 ナタリーのぼやきに、レクシオは頭をかいた。
 そのとき、ふとセント・ヴィリア教会の儀式剣に刻まれていた文言を思い出す。
「『祈りを辿れ。祈りこそが道である』――ね」
 ここで言う祈りとは、一体なんなのだろうか。レクシオは疑問をぶつけるように、手元の鏡をじっと見る。しかし、鏡は少年のしかめっ面を映すばかりで、何の答えもくれなかった。

 鏡は帝都に持ち帰ることにした。レクシオたちは、神父たちにお礼を言って教会を出る。その際、神父は笑って言った。
「今日は南の宿屋にご宿泊ください。話は通してありますので」
「わ、何から何まですみません。ありがとうございます」
 レクシオはさすがに恐縮して頭を下げた。
 今から馬車で帰ったとして、帝都の閉門までに辿り着ける保証はない。そのため、どのみちディノで一泊する予定だった。往路で「同じ宿に四人も泊めてもらえるだろうか」などと話し合っていたところなので、手回ししておいてもらえたのはありがたい。
 宿へは学生たちだけで向かうことになった。のんびりと歩いているその途中、しかしレクシオが足を止める。西の空をにらんだ彼は、寒気を覚えて体を抱いた。己を抑制する前に、その場にうずくまる。
「レク?」
「レクシオさん?」
 ナタリーとミオンが慌てて声をかけ、オスカーが顔をしかめる。レクシオは、仲間たちに応えることができなかった。
 魔力と似て非なる気配が体を突き刺す。それに抗わんとばかりに、『金の魔力』が暴れ狂う。黄金色の濁流の先に、星のように瞬く銀色を見た気がした。
「――ステラ」
 歯を食いしばって耐えていたレクシオは、唇を震わせる。同時、黄金色の濁流も止まった。
 思わずうなだれた彼の背中を、大きな手が叩く。
「レクシオ」
「……あー、悪い。俺は平気」
 その姿勢のまま答えたレクシオは、顔を上げて振り返る。心配そうな三人の顔を見て――小さく息を吐いた。
「俺は平気だけど、ステラたちが平気じゃないかもしれない」
 それを聞いて、ほかの三人が目をみはった。
「へ、ええ? 何、いきなり」
「あいつらの方にやばいもんが迫ってる。そんな気配がした」
「……魔導士というのは、そんなこともわかるものなのか」
 首をかしげたオスカーが、流れるように右手を差し出す。レクシオはその手を取って、なんとか立ち上がった。「わかんないわよ、んな遠くのこと」とナタリーがうめく。
「なんでしょう。『翼』同士、つながりでもあるんでしょうか」
「そうかもな。今まで、こんなもん感じたことなかったし」
 眉間にしわを寄せて考え込むミオンに返事をして、レクシオは再び西の空をにらむ。自然と、ため息がこぼれた。
「とはいえ、今からリーリスに飛んでいくのは無理だ。ひとまずは、ステラたちを信じるしかねえや。……って、最近こんな事態ばっかだな」
 せっかくセルフィラ神族と渡り合える力を手に入れても、その場に駆けつけられないのでは意味がない。もどかしさをごまかすように頭をかいたレクシオの隣へ、オスカーがやってきた。
「そうだな。あっちにはブライスもシンシアも……トニーもいる。仮に神と遭遇しても、全員で逃げるくらいはできるだろ」
 冗談めかした口調と言葉が、少し意外で。レクシオは弾かれたように振り返り、にっと笑った。
 西の端の金色が、地平の先へと没していく。空の青が深さを増す。四人の学生は顔を見合わせたのち、小走りで宿屋に向かった。