第二章 姉妹神の記録(2)

 ステラ、トニー、シンシア、ブライスの四人はリーリスへと向かっている。帝都からはいくらか列車を乗り継がなければならないが、列車と少しの徒歩移動だけで辿り着けると思えば楽な方である。
 ステラは、向かいの席から響く鼻歌を聞き流しながら、窓の外をながめていた。流れる景色は、変わらないように見えて、帝都周辺とは雰囲気が違う。背の高い木々が少なく、丘が多いからかもしれない。
 ご機嫌な鼻歌は、まだ響いている。ステラが車内に顔を向けたとき、隣の少年が身を乗り出した。
「ずっとノリノリだな、ブライス嬢」
 悪戯っぽい声掛けに、赤毛の少女が笑い声を返す。
「そりゃそうだよー。リーリスなんて、初めて行くもん」
 座席の上で体を弾ませたブライスは、飛び跳ねるように前へ出る。
「帽子くんは行ったことある?」
「いや、俺も初めて」
「そっかあ、そうだよねえ」
 わはは、と明るい声を立てて、ブライスは座り直した。よく動く少女を、隣に座るもう一人の少女――シンシア・ネリウスがにらみつける。
「落ち着きなさいな、ブライス。わたくしたちは観光に行くのではありませんのよ?」
「わかってるよー」
 ブライスはシンシアを見上げる。堪えた様子が一切ない。足をぶらぶらさせながら、含みのある笑みを友人に向けていた。
「でもさ、シアだって私のこと言えないと思うよ。部長と組めなくて残念、って思ってるでしょ?」
「なっ……!」
 途端、シンシアの顔が真っ赤に染まった。
「そそ、そんなことはありません! 戦力配分を考えた、妥当な組み分けですわ!」
「戦力配分と個人の感情は別物だよ。そうは思わんかね?」
「その顔と口調はなんですかっ」
 高い声を向けられても、ブライスは楽しそうに笑っている。一方のシンシアは、顔から湯気が出そうな勢いだ。
 ステラとトニーは思わず互いを見た。
「シンシアはオスカーに惚れてんのか?」
「直球!?」
『ミステール研究部』の二人に向き直り、トニーが尋ねる。隣のステラはつんのめった。もちろん、列車の揺れだけのせいではない。
 ステラの対角線上、トニーの向かいに座っているシンシアの顔は、明かりの下でもわかるほどに赤く染まっていた。
「ほっ、惚れ――!? そ、そそそそんなわけ――」
「あっははは! あながち間違いじゃないかもねー! 一目惚れって言ってもいいでしょ、あれは」
「ブライス!?」
 シンシアの、潜められてなお甲高い悲鳴が周囲にこだまする。ステラは他の乗客に身振りで詫びた後、笑い転げているブライスの頭に手刀を叩きこむ。力は一切入れていない。
 ブライスは、腹を抱えてひーひー言っている。赤い頭をにらんだステラは、彼女の先の言葉を思い出して、尋ねた。
「『あながち間違いじゃない』ってどういうこと? あ、いや、シンシアが知られたくないなら、無理には聞かないけど」
 やや遠慮した彼女を見て、シンシアが咳払いする。「構いません。隠すほどのことではありませんわ」と前置きして、話し出した。
「わたくしが『ミステール研究部』へ入る前のことです。中等部二年の春……たまたま、学院の食堂でオスカーの近くに座ったのです。そのとき彼は、魔導科生でも読むのがおっくうになるような、魔導学の本を真剣に読んでいて。その姿に、釘付けになってしまいましたの」
 その後、オスカーの方から「何か用か」と話しかけられたという。読書に熱中していたとはいえ、仮にも武術科生だ。視線に気がついたのだろう。シンシアは動揺したが、本の話題を彼に振った。そこからなんとなく話が弾んで、一週間後には見かければ挨拶をする程度の仲になった。彼が同好会グループを立ち上げようとしていると知ったのは、その頃である。
「わたくしは同好会グループ活動をするつもりはなかったのですけれど……ブライスが一緒に見学しようと何度も誘ってくるものですから、しかたないから見学だけ、と思ってついていったのです」
「その『ついていった』先が『ミステール研究部』の部屋だった?」
 トニーが面白そうに問う。シンシアは、柳眉をひそめつつもうなずいた。
「当時はまだ、正式な名前は決まっていませんでしたが。わたくしはとにかく驚きました。武術科生が魔導術にかかわる同好会を立ち上げようとしているとは――しかも、それがあのオスカーだなんて、と。それで……」
 そこまで語ったシンシアは、突然頭を抱える。重いため息が、生ぬるい車内の空気を揺らした。
「わたくしとオスカーが顔見知りだと知ったブライスが、勝手に話を進めてしまって……。なぜかわたくしまで入部することになっていたのです……」
「え、ええ……?」
 ステラとトニーが素っ頓狂な声を上げる。二人の視線は当然、赤毛の少女に集中した。
「ちょっと。本人の意向を無視して話を進めるのはだめでしょ」
「えー? 最後はちゃんと確認とったよ?」
「拒否権がほぼない状態だったでしょう!」
 体を左右に揺らすブライスを、シンシアがねめつける。ブライスは悪びれた様子もなく「またまた。ぶちょーの反応を気にしてたくせに」と笑う。シンシアが声を詰まらせた。
 なるほど、確かに「一目惚れ」といっていいだろう。ステラとトニーは顔を見合わせ、苦笑した。

 木々の隙間を縫うように、石と木を組み合わせて建てられた家々が立ち並ぶ。町のいたるところを流れる小川では、今なお水車が回っていた。蜂蜜色の屋根と自然の緑、水の輝きが、大地に一枚の絵画を描き出しているようだ。
 帝国領、リーリス。風光明媚なこの町は、ほどよい静けさに包まれていた。旅行客と思しき人の姿はちらほらとあるものの、落ち着いた佇まいの紳士淑女が多い。
 観光名所というよりは、ゆったりとくつろぎに訪れる場所なのだろう。駅を出て、道を歩いているさなか、ステラはそんなことを呟いた。すると、トニーが遠くに視線を投げる。
「まあ実際、貴族や富裕層の別荘が結構あるらしいからなあ」
 へえ、と曖昧にうなずいたステラは、手元に視線を落とす。
「『知り合い』に見つからないよう、気をつけた方がいいかな。えーと、教会は……」
 駅で貰ってきた地図をなぞる。『リーリス教会』の文字を見つけて、目を細めた。
「わ、意外と遠いな」
「どれどれ? あ、ほんとだー」
 ブライスが、横から地図をのぞきこんでくる。
 リーリス唯一のラフェイリアス教会があるのは、町の外れ。散歩道として人気な森のすぐそばだった。歩いていくとなると、一時間弱はかかるだろう。
 間延びした声を上げた少女は、その場で軽やかに一回転した。
「ま、いい運動になるじゃん。頑張って歩きましょー」
 屈伸しながらそんなことを言ったブライスに、残る三人は呆れの目を向ける。苦笑したステラは、地図をしまって軽く足首を伸ばした。彼女の言うことにも一理ある。どうせ行かなければならないのだから、前向きに考えた方が得だろう。
 旅行客や地元民とすれ違いながら町を行く。その歩みは決して早くはなかったが、四人とも足取りがしっかりしていた。外歩きに慣れていなさそうに見えるシンシアも、同好会グループ活動で鍛えられているらしい。
 大きな水車の横を通り過ぎたところで、ステラはふと足を止めた。
「あれ……?」
「どうなさいました?」
 前を歩いていたシンシアが、怪訝そうに振り返る。ステラは、「あ、ごめん」と詫びた後、首をかしげた。
「誰かに見られてたような気がして」
 シンシアの顔が明らかに引きつった。ステラは、彼女をなだめるように左手を突き出す。
「でも、気配がすぐ消えちゃったんだ。気のせいかも」
「ステラに限って、気のせいなんてことあるか?」
 シンシアの後ろから、茶色い帽子がひょっこりとのぞく。不服そうに振り返った彼女の横に、トニーが並んだ。
「あたしだって勘違いすることくらいあるわよ」
 ステラは唇を尖らせる。二人をうながそうとして手を挙げたとき、その指がぴくりと震えた。
 足裏から脳天へ、一気に寒気が這い上がる。頭の奥で、戦士の本能が警鐘を鳴らす。ひりつく空気。熱される魔力。そのすべてをひと時で感じ取ったステラが、空を仰いだとき。
 森の方から爆発音が響いた。
「なっ――」
 穏やかだった町がざわめく。その中で、学生たちはとっさに身構えた。
「なんですの? 今の音は」
「森から? いや……」
 声を殺して呟いたシンシアの前で、ブライスがつま先立ちになる。空に細く立ち昇る黒煙を見て、彼女は鋭く目を細めた。
「教会の方だ」
 彼女の一言で、ほかの三人は顔を見合わせた。
 ステラは剣に手をかける。焦げ臭い風に乗って、魔力と似て非なる異質な気配が流れてきていることに気づいた。
「急ごう」
 低くささやくと、学友たちは小さくうなずく。そして、一斉に駆け出した。