第二章 姉妹神の記録(3)

 学生たちが全力疾走していても、まわりの人は気に留めなかった。ほとんどが先ほどの爆発音に意識を向けていたからである。おかげでステラたちは、気まずい思いをすることなくリーリスを駆け抜けた。
 教会へ近づくにつれ、異質な空気が濃くなっていく。四人ともがそれを感じて顔をしかめた。特に、ステラの身には不快な熱としてまとわりつく。ステラは無意識のうちに、腰の方へと手を伸ばした。
「みんな、あれ!」
 先頭に飛び出したブライスが、行く先を指さす。残る面々はそれを視線で辿って、息をのんだ。
 遠くに見える建物から煙が上がっている。建物の中と外、両方から臓腑を押しつぶすような圧力が感じられた。
 シンシアが、きつく顔をゆがめる。
「遅かった……!」
 ステラは武器に手をかけた。トニーが舌打ちをこぼす。
「ステラ」
「うん」
「無茶はすんなよ。レクににらまれたくねえから」
「――わかった」
 おどけた友人にほほ笑んで、ステラは一気に足を速めた。ほかの三人をあっという間に追い抜かし、緩やかな傾斜のついた道を駆け降りる。
 森の前に佇む小さな教会。その屋根に穴があいていた。そして、門の前には人影がふたつ。座り込んでいる人の前に、もう一人が武器を構えて立っているようだった。
 ステラは勢いよく地面を蹴って、前へ飛び出す。考えるより先に、右手が剣を抜いていた。青い鞘から現れた純白の刃がきらめく。
 教会の、門の形がはっきり見えた。それと同時に、ステラは二人の間に割って入る。剣を高いところで構えると、腹の奥まで揺るがすほどの衝撃が襲ってきた。湾曲した刃が白い剣にぶつかって、甲高い音を立てる。
「ちぇっ。もう嗅ぎつけてきやがったのか」
 少年のような声が、熱された空気を小刻みに揺らす。記憶にある音を聞いたステラは、構えを解かずにその方をにらみつけた。
 刃の向こうにいるのは、ローブをまとった青年だ。神の力でつくりだした大鎌を携えて、剣呑な目をステラたちに向けている。
「……ギーメル」
「久しぶりだな。おまえに会うのは『銀の選定』以来か?」
 ステラが静かに名前を呼ぶと、『火と戦の神』は軋む蝶番のような笑い声を立てる。それから音もなく得物を構えなおした。
「ステラ様……で、ございますか?」
 ギーメルに狙われていた人物が、震える声でステラに呼びかける。砂色の髪を束ねた、壮年の男性だった。見開かれた両目に驚きと戸惑いの色がにじんでいる。
 ステラは、安心させるように、力強くうなずいた。
「はい。すみません、いきなり飛び込んできて」
「い、いいえ。こちらこそ、きちんとお出迎えもせず、申し訳ございません」
「気にしないでください。神父様が無事なら、それでいいです。今はとにかく、下がって」
 ステラが鋭い声で言うと、神父はその姿勢のままわずかに後ずさった。何かを言いかけるように口が開閉していたが、ギーメルの方を向いていたステラは、それに気づかなかった。
 ギーメルが口の端を持ち上げる。次の瞬間、その姿がぶれた。
 高い風の。襲い来る熱波。ステラはすぐさま体をひねり、剣を薙いだ。虹色の火花が散って、剣と鎌が互いを弾いた。
 目にもとまらぬ応酬の後、ステラは素早く飛び退る。姿勢を低くして駆け出した。振りかざされた鎌の攻撃を二度かわし、相手の懐に飛び込む。彼女が純白の剣を一閃させると、ギーメルは一瞬鎌を消して、大きくのけぞった。鋭い刃に裂かれた衣の裾が宙を舞う。
 ギーメルが舌打ちした。
「ラフィアお手製の剣がよみがえったって話は本当だったか」
 忌々しげな呟きに、ステラは一言も答えない。二つ名を額面通り受け取るならば、彼は戦神だ。ひと時でも気を抜けば――女神の魔力を得ているとはいえ――人間などあっさりと殺されてしまうだろう。
 飛びのいたギーメルが、再び鎌を出現させる。その切っ先がステラたちの方へ向いたとき、両者の間で閃光が弾けた。魔力が熱を帯びて小さな戦場を包み込む。
 寸暇を置かず氷の刃が飛来した。ギーメルが鼻を鳴らしてそれらを砕く。氷が飛んできた方を振り返ったステラは、顔をほころばせた。
「みんな!」
「よーっす。お待たせ、ステラ」
 息を弾ませたトニーが不敵に笑う。隣で右手を前に出していたシンシアが、安堵に顔をほころばせた。その五指の先にはまだ冷気がまとわりついている。
 さらに、二人の後ろから飛び出したブライスが、跳躍と同時に剣を斬り込む。学生たちの首を刈り取ろうとしていた鎌が、甲高い悲鳴を上げて弾かれた。
「邪魔してくれんなよ、チビ」
「はん! そう言われて邪魔しない奴がどこにいるかってーの!」
 ブライスは、べーっと舌を出す。仕草は子供っぽいが、剣を構える立ち姿に隙はない。苦笑したステラも身構えて、ブライスの隣に立った。
「シンシア、トニー。神父様をお願い」
 ステラが言うと、名前を呼ばれた二人はすぐに動き出す。トニーが武術科生たちの背後で防壁魔導術を展開し、シンシアが神父に駆け寄った。
「お怪我はありませんか?」
 シンシアがいつもよりやわらかい声で尋ねると、神父は戸惑ったように「ええ、はい」と返す。しかし、すぐに目覚めたような表情で学生たちを見回した。
「私は大丈夫です。それよりも、神官を助けていただけませんか。まだ中に残っているかもしれません」
 その言葉には、前線に立っていたステラとブライスさえも一瞬気を取られた。飛びかかってきたギーメルの一撃をかわしたステラは、その勢いで蹴りを入れる。しかし、軽々と避けられた。
 同じく鎌の一撃を避けたブライスが、後ろに跳びながら叫ぶ。
「この教会、神官さんもいるんですか?」
「はい、ヴァルテバレーの聖堂から派遣されている者です。『例の物』を取りにいきました。その後は裏口から逃げるよう言ってありますが、逃げきれていないかもしれません」
 神父は、痛みをこらえるように、眉根を寄せる。
 その間、ギーメルと数合ほど打ち合ったステラは、思わず顔をしかめた。その表情が見えていたのだろう、セルフィラ神族の青年は陰湿な笑声を立てる。
「ああ。そいつなら、とっくに殺されてるだろうよ。中にはレーシュが向かったからな」
 ステラの背後の三人が、うめきとも叫びともつかぬ声を漏らした。ステラも思わず息をのむ。その一瞬、ほんの少し手足がこわばった。
 生まれた隙を逃さず、ギーメルが踏み込む。ステラはほとんど反射で剣を滑らせ、鎌の軌道をわずかにずらした。彼女が敵の間合いを脱した瞬間、赤い風が吹く。
「おおおおりゃあああっ!」
 全力の一声とともに、ブライスがギーメルに斬りかかる。彼は鬱陶しそうに得物を薙いだ。それを避けた少女はしかし、一切ひるむことなく走り回る。
「ブライス!?」
「ここは私に任せて、ステラたちは中に行きな! 『あれ』はステラじゃなきゃ相手できないよ!」
「で、でも、ギーメルだって――」
「セルフィラ神族。だから『翼』じゃなきゃ勝てない。わかってる」
 すんでのところで鎌を受け止め、踏みとどまる。敵の膂力に圧されてはいるが、絶対に退かない。ブライス・コナーは口角を上げて同級生を振り返る。
「でも、今は勝つ必要はないでしょ。私らだって、あの気味悪い熊さんや鳥さんと戦ったんだ。時間稼ぎくらいはできるって」
「けど……」
「それについては賛成だな」
 力の抜けた声とともに、風が吹く。旋風は足もとの土や草を巻き上げて、神たる青年と少女たちを隔てた。おっとっと、と言いながら後ずさったブライスが、声の方を見て目を丸くする。
「帽子くん」
「でも、さすがにブライス一人じゃきついだろうから、俺も残るわ。神父様を守る人も必要だろうし」
 帽子のつばをつまんで下げたトニーが前へ出た。
 ステラはさすがに逡巡したが、風の勢いが弱まってきたことに気づくと、剣を収める。
「ありがと、二人とも」
「へっへ。任せろ!」
「なるべく早く帰ってきてくれなー」
 二人の返事を聞き届ける前に、ステラは反転して駆け出した。後方で話を聞いていたシンシアがすぐさま合流する。ステラは、よろけた彼女の手を取った。
「ありがとうございます」
「いーえ。急ごう」
「――はい」
 力強くうなずいた二人は、黒鉄の門を越えて、教会の中へ踏み込んだ。