大鎌が天を裂き、地を割る。その気になればこの一帯を更地にもできるのであろう神の一撃を、ブライスは軽やかに跳んでかわした。間髪入れず第二撃が来る。転がるように移動した彼女は、飛んできた岩や土くれを蹴りながら、駆けた。
四方八方に散った砂礫を、少女の後ろから放たれた風の矢が次々と砕く。それはさらに細かい砂と化してローブの青年に降りかかった。視界が霞んだ瞬間、ブライスは剣を抜いて飛び出す。突風のような突きを繰り出した。
金属音がこだまする。先刻より小さくなった鎌が、ブライスの剣を弾き飛ばした。吹き飛ばされた少女は、木や草地を使って軽やかに衝撃を殺す。危なげなく着地したついでに、落ちてきた剣をしっかとつかんだ。
「ブライス、無事か!?」
「無事無事、超無事。援護ありがとね、帽子くん」
焦りのにじんだ呼びかけに、ブライスは左手を振って答える。それを見たトニーは、帽子の下で顔をほころばせた。
一方のギーメルは、彼らを見もせず教会へ足を向ける。しかし、ブライスがすぐさまそれに気づき、駆けた。彼の進路をふさぎ、剣を突きつける。
「おっと。行かせないよ」
「……すばしっこいチビだな」
舌打ちしたギーメルが、再び得物を構える。今度、ブライスは彼が鎌を振り下ろすのを黙って見ていた。湾曲した刃が自分を捉えた瞬間、あえてそちらに突っ込んでいく。
「そおおお――りゃっ!」
頭上すれすれを鎌が通り過ぎる。それでも足を止めない。ギーメルのすぐ前へと迫ったブライスは、飛び跳ねて、相手の胸を蹴りつけた。さしものギーメルも眉を寄せる。その間にも、ブライスは剣を振った。白い光が宙を走る。かりそめの皮膚が裂けて、赤が舞う。それは瞬く間に光の粒となり、大気に溶けた。
最小限の動作で繰り出された、横薙ぎの一撃。それはギーメルの顔面を確かに捉えたが、大きな傷を負わせることもできなかった。
ブライスはすぐさま手首を返し、追撃する。ギーメルは瞬時に手もとから鎌を消し、彼女の突きを悠々とかわした。空白の右手が、ふっとぶれる。
鈍い音が響く。小さな体が、弾丸のごとく吹き飛んだ。邪魔者を退けたギーメルは、しかししかめっ面のままだ。吹き飛ぶ直前、少女の体が金色の膜に覆われたことに、気づいていたのである。
舌打ちをこぼした青年は、右手を挙げた。同時、その場に白い霧が広がる。
ブライスが植え込みの中に叩きつけられたのは、そんなときだった。魔導術の防壁が派手な音を立てて砕け散る。背中をさすりながら起き上がった少女は、あちゃあ、と顔をしかめた。
「あとで神父様にごめんなさいしなきゃだ」
呟いて、植え込みの中から脱出する。そばに落ちていた剣を拾ったとき、引きつった声が彼女を呼んだ。
「おおい! 生きてるか!」
「生きてるー。帽子くんのおかげで命拾いしたよー」
駆けてきたのは、トニーだ。帽子を押さえてこちらを見ている彼に、ブライスはひらひらと手を振った。それから、剣を握り直す。
「あっ。でも、ギーメルを逃がしちゃったかも。早く追いかけなきゃ」
「……そんだけ元気なら大丈夫そうだな」
その場で飛び跳ねるブライスを見て、トニーが猫目をすがめる。
そんな会話をしているうちに、霧が晴れてきた。乳白色のむこうには、まだ青年の姿が見える。
気を取り直して、ブライスたちが駆けだそうとしたとき――目の前が、再び白く染まった。
ぎゃあっ、と叫んでブライスは顔をかばう。
「帽子くん、これはやりすぎだよ!」
「俺じゃない! この魔力は――」
女性の悲鳴にも似た高音が、学生たちの声をかき消す。ついで、爆音がとどろき、教会の壁が吹き飛んだ。乱舞した瓦礫や粉が、あたりをつかの間白く染めた。
ブライスとトニーは、咳き込みながらも顔を上げる。破壊の嵐にまぎれて、小さな人影が飛び出してきたのは、そんなときだった。
「おいレーシュ! 何やってんだよ!」
文字通り飛んだギーメルが、いらだたしげに言う。教会を見下ろすセルフィラ神族は、見た目通りの少年のごとく笑った。
「やあ、失礼。どうやら『銀の翼』を怒らせてしまったようで」
笑い声が消える直前、崩れかけた教会の中からまたひとつ、人影が飛び出した。
※
壁の破片を避けて蹴り上げ跳躍したステラは、女神の魔力をまとわせた剣を振るう。銀色の軌跡が空に刻まれ、光の粒が四方八方へ飛び散った。
剣先が身をかすめる寸前、レーシュが鳥のごとく舞い上がる。反対に地上へ吸い寄せられたステラはしかし、危なげなく着地した。頬を伝って滴る汗を気にもせず、冷たい瞳を空に向ける。
次の瞬間、青空を流星群が切り裂いた。どこかへ飛んでいったと思われた光の粒が矢となって、セルフィラ神族のもとへ降り注いだのだ。
レーシュが細い眉を寄せる。ギーメルは盛大に舌打ちして、鎌を振るった。湾曲した刃によって、女神の魔力で作られた星は硝子のごとく砕かれる。
目を焼くほどの光が瞬き、肌を炙るような魔力の熱が吹き荒れる中、ステラは再び駆け出した。敵の方を見据えたまま、息を吸う。
「トニー!」
「ああもうっ、結局無茶すんのかよ!」
トニーは文句を言いつつも、手際よく構成式を展開する。友人に心の中で感謝しつつ、ステラは思いっきり地を蹴った。
地面のある一点に、魔力が集まって渦を巻いている。目には見えないその流れに、ステラは躊躇なく飛び乗った。地から天へ、ぶわりと吹き上がった風が彼女の体を押し上げる。
魔力を通す。腕を振り上げる。場の魔力もろとも、敵に剣を叩きつけた。
剣と鎌がぶつかり合う。ステラの一撃を阻んだギーメルは、射殺すような視線を彼女に向けた。ステラは負けじと目を細め、全身に力を込める。
拮抗。その時間は、一秒にも満たなかった。弾ける火花が銀色に染まり、軋んだ剣が鎌を押しのける。喉を引き裂くような叫び声とともに、金属をこすり合わせたような高音とともに、魔力の奔流が二柱の神をのみこんだ。
ステラは、勢いのまま手を伸ばす。レーシュの持つ獣皮紙をつかもうと、指を曲げたその瞬間。苦痛にゆがんでいたように見えた少年の唇の端が、持ち上がった。
ステラの本能が警鐘を鳴らす。しかし、宙に浮いた体は天地に縛られて、思うままに動かせない。風に流されているうちに、目の前が白く染まった。
「そう焦らずに。――また遊びましょう、『銀の翼』」
笑い含みの声が、耳元でささやく。
空中で、魔導術と似て非なる力が弾けた。
熱風が吹き荒れ、白煙が教会をのみこむ。
シンシアと神官は、瓦礫の陰でうずくまる。ブライスはとっさに神父の方へ走った。逆にトニーは、顔をかばいながら爆心地の真下へ走る。勘を頼りに構成式を展開し――それが完成すると同時、急停止した。
「ステラ――!!」
トニーは無我夢中で叫びながら、魔導術を投げつける。黄金色の円板が、大輪の花のように広がった。
熱の後に、冷気。身を切り裂くような痛みの後、背中に衝撃が走る。
ステラはうめきつつ、手足をゆっくり動かした。
生きている。どの指も動く。それを確かめて、ようやくゆっくり目を開けた。
広がるのは青い空。人ならざる人の姿はない。
「……くそっ」
めったにつかない悪態をついて、ステラは腕を持ち上げる。目もとを覆って深呼吸していると、足音が近づいてきた。
「ステラー! いーきーてーるー?」
明るい声が耳を突く。ステラは苦笑して、目もとの覆いを外した。
「生きてる、生きてる」
ひらひらと手を振ってから、体を起こした。
駆けてきたのはブライスと、トニーだ。二人はへなへなと減速し、彼女のすぐ前で立ち止まる。ステラは座ったまま、そんな二人を見上げた。
「ありがとね、トニー。おかげで助かった」
「おまえなあああ……レクのこと怒れねえぞ」
帽子をかぶり直した少年は、ため息まじりの苦言を呈する。ステラは頬を引きつらせ、意味もなく頭をかいた。
自力で立ち上がったステラは、二人とともに神父のもとへ戻る。彼のそばには神官と、彼を保護していたシンシアがいた。
「ステラさん! お一人で彼らに立ち向かうなんて、無謀にもほどがありますわ!」
厳しい声と言葉に反して、顔には憂いの色がにじんでいる。ステラはつかの間ひるんだが、すぐに頭を下げた。
「ごめん。すぐに行かないと逃げられると思ったから。……いや、どっちにしろ逃げられたけど」
ステラがぼそりとそう言うと、空気がずしりと沈殿する。
「すみません、神父様。大切な遺物を奪われてしまって……」
顔を見合わせている神父と神官に、深々とお辞儀した。すると、神父が弾かれたように振り返る。
「とんでもない! 奪われてしまった責任は、我々にあります」
ステラはゆっくりとかぶりを振った。神父も神官も、間違ったことはしていない。一度『物』を持って逃げられただけでも奇跡的なのだ。
気まずい空気を吹き飛ばすように、わざとらしい咳払いが響く。
「とりあえず、全員無事でよかったじゃないすか。責任うんぬんは、一旦置いておきましょ。きりがないから」
その場の人々は、顔を見合わせ苦笑する。
トニーの言うことはもっともだ。肩をすくめたステラの前で、神父が深々と一礼する。
「ご足労いただいたにもかかわらず、お力になれず申し訳ありません」
「いえ。お二人が無事でよかったです」
「……助けていただき、ありがとうございます」
頭を上げた神父は、少し恥ずかしそうにほほ笑む。ステラたちはつい、声を立てて笑ってしまった。隣で低頭していた神官も、肩の力が抜けたようだ。
「にしても、二連敗するとは思わなかったよね。どうしよっかー」
「とりあえず、ほかのみんなと合流しよう。レーシュたちが動いてるって知らせなきゃ」
体を左右に揺らしながらぼやくブライスに、ステラはさっぱりと答える。その前で、シンシアが顔を曇らせた。
「オスカーたちは無事でしょうか……」
「大丈夫だと思うよ。レクに異常がないから」
何も考えずに答えたステラはしかし、直後にぱちぱちとまばたきする。なぜ断言したのか、自分でも不思議だったのだ。
レクシオに何も起きていない。それだけが手に取るようにわかった。だから他の面子も無事だろうと思ったのだが――そもそも、それがわかること自体が奇妙ではないか。
全員から怪訝そうな視線を向けられ、ステラは余計にうろたえる。
「えーっと。なんとなく、そんな気がするから」
論理的な説明などできるはずもなく。彼女は、剣の柄を触りながら、笑ってごまかした。
※
結局、ステラたちは帝都へとんぼ返りすることとなった。教会の修繕を手伝うという話も出たが、それについては神父がやんわりと辞退した。
彼女たちにはやるべきことがある。小さないち教会のことで、手を煩わせるわけにはいかない。神父が穏やかに諭すと、学生たちは悔しそうにしつつもその言葉に従った。
去りゆく彼らを、神父と神官は並んで見送る。その影が青く霞んだ町並みの方へ消えると、神官がぽつりと呟いた。
「……いつかの旅のお方を思い出します」
「旅のお方?」
聞き返してから、神父も前任者から聞いた話を思い出した。
一人の寡黙な旅人が、森で謎の人物に追われていた神官を助け出して、この教会を訪れた。
当時を思い出したのだろう。神官は、どこか寂しそうにほほ笑む。
「また、命を救われました」
神父は、曖昧にうなずく。彼自身はその旅人のことを情報でしか知らない。ただ、今日会った学生たちとは似ても似つかない人物なのだろうとはわかる。それでも繋がりを感じてしまう何かが、彼らの中にあるのだろう、とも。
「お元気だと、よいのですが」
神官の呟きを聞き、神父は顎を撫でる。
この帝国に生きる者としては、咎めた方がよいのかもしれない。だが、彼個人としては、それをしたくなかった。
人知れず想い、祈ることは自由だろう。たとえ、かの旅人が帝国における罪人であろうとも。
「『報せ』がないということは、お元気なのではないでしょうか。……機会があれば、私もお会いしたいものです」
だから、神父はそう言って、白い息を吐いた。