第三章 天階のふもと(1)

 帝都へ戻ったステラたちを出迎えたのは、ナタリーの強烈な突進だった。到着予定日をあらかじめ知らせていたとはいえ、改札を出てすぐに声が聞こえたものだから、ぎょっとして立ち止まってしまった。
「ちょっとあんたたち、無事!? どこも怪我してないでしょうね!?」
「ちょ、ナタリー! 声が大きい!」
 ステラは慌てて唇に指を当て、しーっ、と言う。興奮気味だったナタリーがようやく彼女から顔を離した。
「相変わらずお子様のようににぎやかな方ですこと。自覚があるぶん、ブライスの方が愛らしく見えますわね」
 シンシアがわざとらしく頬に手を添える。振り返ったナタリーは、まなじりをつり上げた。
「あんたね。心配している人間に対して、その言いぐさはないでしょ」
「あら。心配してほしいとお願いした記憶はございませんけれど」
 少女二人は、火花を散らしてにらみ合う。ステラとブライスが「まあまあ」とそれぞれをなだめた。
「おーおー。元気じゃないすか。結構なことだ」
 後ろの方で見守っていたレクシオが、おどけながら歩いてくる。ジャックやミオン、オスカーやカーターもそこにいた。「ただいまー」と挨拶したトニーが、帽子のつばをつまんで下げる。
「ってか、みんなに知らせたの到着予定日だけだよな。なんでナタリーが心配性発動してんの?」
「それが、レクシオくんが何かを感じ取ったらしいんだ」
 ジャックが珍しく曖昧に笑って、レクシオを見る。
 ステラは思わず眉を上げる。リーリスで、なぜか『レクシオは無事だ』ということが手に取るようにわかった。レクシオも同じ感覚になったのだ。思い込みではなかったと知り、ステラは安心感と薄気味悪さを同時に覚える。
 本当はレクシオと意見を交わしたい。しかし、『翼』特有であろう感覚を知らない学友の前で、この話を持ち出すことは憚られた。ステラは気まずくなって、目を泳がせる。子犬のような表情のブライスと目が合った。
 明るい声が駅のざわめきを割る。
「とりあえず、情報交換しようか。どこかで腰を落ち着けて」
『調査団』団長が、すらりと背筋を伸ばして立っていた。人数分の視線を受けて、彼は華やかな笑みを浮かべる。それを見た一同は、色とりどりの表情でうなずいた。

 今日は学院が休みなので、食堂や第二学習室が使えない。そこで学生たちは、学院近くの喫茶店に入った。秋の騒動の折、『作戦』の進捗報告をした店である。
 今日は屋外の席ではなく、屋内の隅のテーブルを陣取った。満席というほどではないが、客の入りは多い。
 ステラとレクシオが中心となって、ディノとリーリスで起きたことを報告した。現状を知った十人の間に、安堵と悔しさがないまぜになった沈黙が落ちる。
 しばし食器のぶつかる音を聞き、店内に満ちる香りをかぐ。その後、珈琲に口をつけたオスカーが、ぽつりと呟いた。
「……よく無事だったな」
 それは主に、部員に向けられた言葉だろう。あえて黙っていたステラの前で、ブライスが得意げに胸を張り、シンシアが申し訳なさそうにうつむいた。
「ご心配をおかけしました」
「怪我がなければそれでいい」
 恐縮しているシンシアの向かいで、オスカーは静かにカップを置く。いつも通りの仏頂面だが、声色は少しやわらかいように思われた。
「ステラは死にかけたけどな」
 トニーが和やかな空気に水を差す。彼に助けられた身であるステラは、何も反論できずにうめいた。人数分の視線が突き刺さる。
 再び気まずい空気になりかけたところで、ジャックが咳ばらいをした。
「現状、五か所の教会に眠る『物』のうち二つをこちらが持っていて、二つをセルフィラ神族が持っている、ということだね」
 真剣にうなずいたステラは、ふとレクシオたちの方を見る。
「そういえば、レクたちが確保した鏡は、今どこにあるの?」
「帝都第一教会。エドワーズさんに預かってもらってる」
 当然のことだ、とステラは納得した。同時に、エドワーズがセルフィラ神族の標的にならないかと心配になってくる。
 ステラがティーカップとにらめっこをしている横で、ナタリーが眉を寄せた。
「問題は、ロアンナ教会にある『物』がどうなっているか、だけど……」
「あっ。それでしたら、みなさんが出かけている間に問い合わせました。今のところ、襲撃などはないそうです」
 カーターがおずおずと手を挙げる。彼と行動を共にしていたジャックも、曇りのない笑顔でうなずいた。八人の表情がほころぶ。
 レクシオが、後頭部を支えるように手を組んで、椅子にもたれかかる。
「こうなったら、急いでロアンナに向かった方がいいな」
「そうだね。セルフィラ神族がやってくる可能性を考えると……全員で行くべきかな?」
「ああ。戦力を温存してる場合じゃない」
 うかがうようなジャックの言葉に、オスカーがうなずく。
 なるべく早くロアンナへ行く。この方針は、確定だ。『クレメンツ怪奇現象調査団』と『ミステール研究部』の十人は、手帳を取り出したり記憶を辿ったりしながら、額を突き合わせた。一介の学生という立場を保ちながらセルフィラ神族と渡り合うのは、まったく楽ではない。それでもやるしかないのだった。

「やってくれたな、あの小娘」
 灰色の暗がりに、刺々しい声が響く。あらゆる香りが交じり合った風に髪を遊ばせていたレーシュは、つと顔を上げた。
 埃まみれの壁にもたれかかっているギーメルが、忌々しげに右腕をにらみつけている。かりそめの肌には、傷ひとつついていないはずだ。ただ、見慣れたローブの袖は、派手に裂けていた。
 人間たちの話し声と、金物をぶつけたような音を遠くに聞きながら、レーシュは少し前の出来事に思いをはせる。
 目的の物を回収するため訪れた教会で、『銀の翼』の一行と交戦した。かの娘の表情と、彼女にまとわりついた魔力を思い出すと、自然に口角が上がる。
 体内を焼き尽くすような憎悪と、のぼせ上がるような喜悦とが、同時に湧き上がってくる。最後の最後、わずかに肉体をかすった痛みさえも、それらを引き立てる刺激であるかのようだった。
「この私が、人間の娘に肉薄されるとは……。いつかの大戦を思い出しますね」
「楽しむのもいいけどさ。急がないと、残りの『神録しんろく』をかすめ取らかねないぜ」
 不機嫌なギーメルの言葉に、レーシュはかすかな笑い声を返す。
「わかっていますよ」
 踊るように踏み出したレーシュは、長方形に切り取られた空を仰ぐ。
「来ていますね、アイン?」
 彼が呼びかけると同時、路地に青い影が差した。軽やかな靴音を立てて、童女が着地する。朱色の髪がひととき舞い踊り、小さな頭に吸い寄せられる。当人は、それがまるで他人事であるかのように、冷めた目でレーシュを見た。
「一緒に行っていいの?」
「もちろん。次の目的地は、ロアンナです。しっかり働いていただきますよ」
 レーシュは、神ならぬ神族に、にこりと笑いかける。隣でギーメルが気味悪そうに肩をすくめたことには気づいていたが、知らぬふりをした。
 アインは小さくうなずいて、両方の拳をきゅっと握る。
「なんでもいい。――『銀の翼』を殺せるのなら」
 大きな瞳の中で、炎が燃え盛っている。レーシュは満足してそれをながめた。
 ラメドが倒されたのは痛手であったが、悪いことばかりでもない。
 裏切りの心配がなくなった上に、アインの戦意を掻き立てることができたのだ。
 レーシュは、静かに怒るアインから視線を逸らし、いま一人の同胞を振り返る。
「ギーメルもついてきてください」
「えー……俺、必要か?」
 ギーメルは、心底嫌そうに目をすがめた。
「何も子供のお守りをしろとは言いません。天階山てんかいやまの近くで控えていてください」
 レーシュが淡々と言葉を足すと、嫌悪の色が薄らぐ。代わりに、純粋な驚きがにじみ出てきた。彼は体ごとレーシュの方を向く。
「気が早いんじゃねえ?」
「結果がどうあれ、準備をしておくに越したことはないでしょう?」
 彼がわざと高い声を出して見せると、ギーメルは「けっ」と呟いてローブの裾をさばいた。
「しかたないな。ついてってやるよ」
「ありがとうございます」
『天と生ある獣の神』は、戦神の尊大な態度を気にも留めない。音もなく飛び上がって――うら寂しい路地から姿を消した。