第三章 天階のふもと(2)

 列車を乗り継ぎ、最寄りの町まで。そこから大きな駅馬車で、なだらかな道を行くこと数時間。これが、帝都からロアンナまでの道程である。シュトラーゼよりはうんと近いが、徒歩や馬車での移動時間が長い分、体への負担は大きい。
『クレメンツ怪奇現象調査団』の六人と、『ミステール研究部』の四人は、それでもなんとかロアンナに辿り着く。
 一人か二人は帝都に残るかという話も出たが、これについては事情を知っている大人たちに反対された――背中を押された、といってもよいかもしれない。
「こちらのことは気にせず、やるべきことに全力を尽くしてください」と言ってくれたのはエドワーズだ。さらに、アーノルドが彼や『物』の警護を引き受けてくれた。つまり、上司であるアーサーも目を光らせてくれているということだ。ステラたちとしては心強いことこの上ない。
 そんなわけで、十人は気兼ねなく最後の目的地へ向かったわけである。
「なんか……静かなところだね。緊張する」
 去りゆく駅馬車を見送った後、ナタリーがまわりを見ながら呟いた。
 スレート葺きの屋根の民家や郵便局と思しき建物が並び、細い歩道には石畳が敷かれている。確かに町ではあるのだが、歩道の脇では雑草や草花が背を伸ばし、舗装されていない場所にはくすんだ緑の絨毯が広がっている。時折行き来する人の足音が、むしろ静寂を引き立てているようですらあった。
「わたしはちょっと落ち着きます」
 きぃ、と音を立てて開閉した郵便局の扉を見て、ミオンが照れ臭そうに呟く。「いやあ、わかるわー」と答えたブライスが、『研究部』の面々から湿っぽい視線を向けられていた。
 教会を目指す。状況的には戦場に赴くようなものだというのに、少年少女の間に漂う空気は、放課後のそれと大差ない。ただ、その裏には、彼らにしかわからぬ緊張感が、確かにあった。
 ステラは、学友たちの雑談を聴き流しながら周囲を探る。今のところ、危険な気配はない。ただ、大通りを抜けたところで、不思議な気配を拾い上げた。
「……ん?」
 嫌な感じはしない。むしろ、孤児院の子供たちを寝かしつけた後のような、やわらかい安堵感と懐かしさが身を包んだ。
 首をひねりながら振り返る。目についたのは、並んで歩く二人の少年の姿だ。分厚い外衣コートを着ているので詳しいことはわからないが、片方はステラたちと同じ年頃、もう片方は初等部生か中等部一年生ほどの年頃に見えた。兄弟だろうか、そんな二人が小声で話しながら歩いている。
 さして変わった光景ではない。なのになぜ、こんなにも惹きつけられるのか。ステラが再び首をひねったところで――幼馴染と目が合った。
「……レク」
「おっ」
「もしかして、レクも気になった?」
「そうなんだよ。ステラもか?」
 ステラはこくりとうなずく。
 学友であり『翼』である二人は、顔を見合わせた。
「なんでだろうね?」
「さあなあ……。魔導士ってわけでもなさそうだし」
 そう言っている間にも、少年たちの姿は遠ざかっていく。そして、反対方向からは学友の声もした。
「ステラー。レクー。何してんのー?」
「置いていっちまうぞー」
 ナタリーとトニーがぶんぶん手を振っている。それを見て、二人は肩をすくめた。
「行きますか」
「うん」
 答えが出ない疑問に拘泥していてもしかたがない。ステラとレクシオは、少年たちの残像を頭から追い出して、足を速めた。

 ロアンナ教会は町の端、小さな丘の上にある。家々が並ぶ細い通りを抜け、起伏に富んだ道を少し行くと、帝都教会より少しふっくらした三角錐の屋根が見えてきた。
「ん? あれ、神父さんかな?」
 ブライスが目陰をさして飛び跳ねる。すぐそばを歩いていたオスカーが「ああ」とうなずいた。
「あんたらの視力はどうなってんのよ」
 ナタリーが心底呆れた様子で呟く。ステラは、たまたま隣にいたミオンと困ったような笑みを交わしてから、前を向いた。
 丘の上で一行を待っていたのは、やはり神父であった。茶色い髪を短く整え、ほつれのひとつもない黒長衣を着込んだ壮年の男性である。
「こんにちは。ロアンナ教会って、ここで合ってますか?」
 レクシオが、いつもの調子で手を挙げる。どことなく軽い挨拶に対し、神父は柔和にほほ笑んだ。
「ええ、こちらがロアンナ教会です。『翼』のお二人とご学友の皆様ですね」
「あ、はい! はじめまして、ステラ・イルフォードと申します」
「レクシオ・エルデです」
 ステラはとっさにお辞儀をする。その隣で、レクシオが名乗った。極端な崇拝の念を向けられていないおかげか、あっけらかんとしている。
「お初にお目にかかります。ロアンナ教会司祭のカール・セレストと申します」
 セレスト神父は、やはり穏やかに一礼する。感情は微笑の下に隠されているのか、ステラにはひとかけらも読み取ることができなかった。
『翼』の二人に続いて、学生たちがおずおずと、あるいは元気よく挨拶する。一回一回、丁寧に応対したセレスト神父は、それから学生たちを中へ招いた。
「エドワーズ神父からお話はうかがっております。『例の物』の保管場所へご案内しましょう」
「よろしくお願いします」
 ステラは改めて頭を下げる。ややして顔を上げたとき――思わず、目をみはった。
 やわらかく目を細めるセレスト神父。彼の右手の人差し指は、どこかを指さしているようである。しかし、すぐ後、指が不自然に動いた。
 ステラはとっさにそれを目で追う。こういうとき、武術をやっていてよかった、と思うのだった。
 人差し指が空中に書いた言葉は――『嘘』。
 そして、指先はほんの一瞬、まったく違う方角を指す。
 足を踏み出しながら、ステラはその意味を考える。
 誰の耳目も気にしなくてよい状況なら、レクシオかトニーあたりに尋ねるところだが、今はよした方がいい。
 黒い背中を見ながら歩くこと、しばし。唐突にひらめいた。
 嘘。つまるところ、これから案内されるのは、本来の『物』の保管場所ではない。
 ステラは、ちらと背後を振り返る。武術科生のまとう空気がわずかに張りつめ、カーターの顔に明らかな緊張の色が見える。なるほど、と心の中で呟いて、ステラは前を向きなおした。
 神父が十人を案内したのは、礼拝の間の奥にある部屋だった。やはり祭具室のようだが、セント・ヴィリア教会のそれよりもずっと狭い。人一人が入るのがやっとである。
 セレスト神父が扉の把手を握ったまま、振り返った。
「少々お待ちください」
 そう告げて、部屋に入る。
 ステラは、はい、と答えて出入口の前に立った。ミオンが人一人分の隙間を空けて彼女の隣に立つ。レクシオは「あんま固まりすぎてても邪魔だな」などと言って、部屋から離れた壁際に立った。オスカーがうなずいて、それに続いた。
 しばらくの間、棚を開け閉めする音だけが響く。ステラはそれを聞きつつも、教会内の様子をうかがっていた。
 他の面々も沈黙している。ステラの相方はというと、黙って立つふりをして、時折壁をなでていた。
 そうしている時間はさほど長くなかった。が、ただ待っている人々にとっては、永遠のように感じられた。
 己が空気と同化したように錯覚しかけたステラはしかし、突然地に足がついたような感覚になる。首筋がちりりと痺れる。遅れて、教会内にかすかな異音が響いた。
 椅子が軋むような音。家鳴りと勘違いしそうなそれは、絶え間なく響いて、徐々に大きくなっていく。
 ステラとミオンが腰へ手を伸ばす。その視線の先で、レクシオが白い壁に両手をついた。瞬間、壁を走るように金色の光が広がる。防壁魔導術であり、『金の魔力』の輝きだ。
「来たな」
「……はい」
 オスカーが、壁から距離を取る。そばにいるカーターが、青ざめた顔でうなずいた。
 その数秒後、地面が小刻みに揺れだす。耳鳴りに似た高音が響き渡り、教会を守る防壁に亀裂が走った。
 レクシオが詰めていた息を吐きだして、飛び退る。
「構えろ!」
 警告の声が天を揺らす。それにかぶせるようにして、轟音が響いた。
 突風とともに壁の破片や砂が飛ぶ。ステラは顔をかばいかけたが、想像していたような風圧や痛みはやってこなかった。軍隊の楯のように並んだ金色の防壁が、爆風を防ぎ切ったのだ。それは役目を果たすと静かに消える。薄れゆく砂煙の向こうから、ぞっとするほどの甘い声が響いた。
「やれやれ。回りくどいことをしてくれたものです」
 壁の穴をふさぐように、少年が『浮いている』。宵の瞳が教会内を冷たく見つめた。
 誰もが彼から目を離さない。いや、離せない。
 少年――レーシュは澄んだ微笑を浮かべた。
「この程度で騙せると思わないでいただきたいですね。……さて、あとは一人でできますか?」
 舞台俳優のような身振りで背後を見る。ふっと目を細めた彼は、次の瞬間、姿を消した。文字通り、跡形もなく。
 入れ替わりに、突風が吹く。朱色の影が飛び込んできて、まっすぐステラの方へ向かう。
「やっと見つけた、『銀の翼』」
 ステラはとっさに抜剣した。純白の刃の表面で火花が弾ける。虹色の輝きが、相手の顔を浮かび上がらせた。
「――アイン」
 ステラは無意識のうちに、相手の名を呼ぶ。朱色の髪の少女は、ぎらついた目を彼女に向けた。
「おまえはアタシが殺す」
 幼い相貌を彩るのは、どこまでも暗く、純粋な憎悪だった。