第三章 天階のふもと(5)

 ロアンナ教会前。ステラとアインの戦いも、刻一刻と激しさを増していた。光と光がぶつかり合う。時に炎が木々を焼き、時に剣が風を裂いた。魔導術の使い手と戦士の戦いでありながら、人の戦を超越したそれは、まったく終わりが見えない。
 このは生前、魔導士だったのだろうか。稲妻と光線の嵐を潜り抜けながら、ステラはそんなことを考えた。しかし、直後に己で否定する。
 神族となったのが見た目通りの年齢の頃だったとしたら、魔導術をしっかりと学び、習得するほどの時間はなかったはずだ。だとすれば、神族としての権能か。いずれにせよ、力を振るうことに慣れているようだ。
 猛攻を突破し、アインとの距離を詰める。彼女は当然、ステラの間合いから抜け出そうと地面を蹴る。しかし、彼女が飛びのく前に、足もとで土が盛り上がった。太い紐のようにうねった土が小さな足を絡めとる。
 アインは怒りに眉を上げると、術者の方を見もせず手を振った。赤黒い炎の蛇が飛び、遠くでナタリーが「ぎゃーっ! こっち来た!」と悲鳴を上げる。神父警護の役をミオンと交代したジャックが、防壁魔導術で炎の蛇を弾き飛ばす。
 同時、ステラは剣を突き出した。
 純白の刃が白皙をかすめる。朱色の髪が数本、宙を舞った。首をひねって器用に一撃をかわした少女は、駄々をこねる幼子のように顔をゆがめる。
「生意気」
 桜色の唇が小さく動いて、言葉を紡ぐ。
 ステラは瞬時に飛びのいた。しかし、遅かった。眼前に薄紅色の小さな太陽が現れる。盛んに舌を伸ばしては引っ込めるそれは、ステラをのみこまんとしていた。
「うわっ、ちち!」
 ステラはとっさに、神剣を極小の太陽に向ける。突きとともに放たれた『銀の魔力』が、光と熱のかたまりを溶かした。アインがひるんでいる間に、なんとか距離を取る。表情には出さなかったが、実際のところは肝を冷やしていた。あと一瞬対応が遅れていたら、丸焦げになっていたところだ。
 そして、ステラとしては残念なことに、アインはひと息つく暇すら与えてくれない。ステラが無傷だと見て取るなり、右手を振り上げた。
 曇天の下に虹色の雨が降り注ぐ。恵みの雨のはずもなく、それはぶつかったものを瞬く間に焼いて、溶かした。ステラは内心ぞっとしつつ、凶悪な雨をかわし続ける。
 地面に蟻の巣のような穴が増えてゆく。あるとき、ステラの頭上でぱきりと乾いた音がした。虹色の雨に焼き切られた木の枝が降ってくる。ステラが防御姿勢を取ると同時、防壁魔導術が彼女を覆った。防壁に阻まれた枝が跳ね飛ぶ。
「団長、最高!」
「まだ来るよ、気を付けて!」
 泣き笑いしながら叫んだステラに、ジャックが叫び返す。隣では、ナタリーが土を操り、アインを足止めしようと試行錯誤していた。
「ぐわっ、変なことになった!」
 そんなナタリーの叫び声が、戦場にこだまする。アインの足もとを固めようとしたらしいが、彼女の前方の地面がめくれあがり、岩と土の柱がそそり立つ。
「いや」ステラは舌で唇を湿らせる。体を低くして、隙をうかがった。
 アインは炎の蛇を放ってそれを破壊したが、飛び散る岩土の欠片と土煙とがあたりを覆う。生身の人間に近い存在ならば、多少なりとも視界を阻まれ、目をやられるはずだ。
「――十分!」
 虹色の雨が途切れた。ステラは土煙の中に突っ込む。神族の力の気配だけを頼りに、剣を振るった。再び、朱色の髪をかすめる。避けられた。さらに一歩、踏み込もうとする。
 この場の誰のものでもない、膨大な魔力が迫ってきたのは、そのときだ。ステラは鋭く息をのむ。一度後退して、背後をうかがった。
 光が、地面を這っている。それは木々を倒し、立て看板を根元から吹き飛ばし、地面の表層を絨毯のように引っぺがす。何かを探すようにうごめいて――ステラたちの戦場に乱入してきた。
 アインは眉一つ動かさず地面を蹴り、浮き上がる。一方のステラは、顔を引きつらせた。
「うっそでしょ!?」
 命の危機にもほどがある。転がるようにして逃げ出すが、光の波は速度を落とすことなく追ってきた。覚えのある神族の魔力が、熱という形で少女の肌に伝わってくる。
「まずいまずいまずい……!」
 ステラは慌てて剣を構える。刃に銀の魔力を流し込もうとした。そのとき、教会の方で別の魔力がふくれあがる。
「――ステラ、退け!」
 なじみ深い一声が、少女の耳朶を震わせた。
 ステラはとっさに飛びのく。次の時、空から光弾が降り注いだ。黄金色の雨は、地を這う光を容赦なく破砕する。白き脅威が完全に消えると同時、ステラの隣に人影が降り立った。彼はすぐさま得物を抜くと、吹き飛んできた石の欠片を弾き飛ばす。
「――レク!」
「よ。元気そうだな」
 ステラが思わず名を呼ぶと、幼馴染は愛想よく片手を挙げる。安堵したステラはしかし、すぐに頬を引きつらせた。
「助かったけど……レーシュは連れてきてほしくなかったな」
「それについては、本当に申し訳ない」
 跳ね飛んだ石たちの向こうには、金銀の髪の少年が浮いていた。ただ冷徹な青のまなざしが、二人の方へ向けられていた。
「ステラ。そっちはどんな感じです?」
 鋼線を構え、不敵な笑みを浮かべたレクシオが尋ねてくる。ステラは敵対する少女の方に目配せした。
「あの子、手ごわいよ。構成式ほぼ不要、魔力無尽蔵の魔導士って感じ」
「なんだそれ。世のことわり完全無視じゃねえか」
 レクシオは、わざとらしくため息をつく。
「この分じゃ、お互いに助太刀は難しそうだな」
 ささやいたとき、レーシュが静かに片手を挙げた。しかし、力が発現するより早く、レクシオが魔力の弾を飛ばした。光弾が繊手を打つ。攻撃された当人は、顔色一つ変えていない。
「レーシュは俺らで足止めしとく。ステラは――」
「あの子をどうにかする」
 ステラは、素早く体を反転させた。片割れの魔力を感じつつも、神ならぬ神に意識を戻す。
 仲間の動向をうかがっていたのだろうか。それまで、アインは恨めしそうな顔をしつつも動かなかった。しかし、ステラが前に立ったことで、瞳に再び炎が灯る。
「さて、続きを始めましょう」
 ステラはあえて挑発的に語りかける。言葉がすべて終わる前に、力の波が押し寄せた。ステラは至極冷静に『銀の魔力』で攻撃を相殺し、距離を詰めるために駆け出す。
 予想通り、アインはあのリボンのような光の帯を何本も放ってきた。ステラはそれぞれの軌道を読み切って、女神の魔力を込めた剣で切り裂く。何度かそれを繰り返したところで――転がるようにして進路を変えた。
「ナタリー! ジャック!」
 学友を呼ぶ。すぐに魔導術による攻撃が飛ぶ。それが命中したとて、光の帯を分裂させることしかできない。が、今はそれで構わなかった。
 追ってくる光の帯。あえてそれを引きつれたまま、ステラは走る。不自然なほど回り道をしながら、じわじわアインとの距離を詰める。
 少女の横顔、苛立ちに歪んだ相貌がはっきり捉えられるほど接近した頃。ステラは、より強く地を蹴った。
「防壁、頼む!」
 腹の底から叫び、跳ぶ。教会の敷地を囲っている木の裏に――『上から』飛び込んだ。
 ステラが見据えた木を、防壁魔導術が覆う。当人は顔から枝葉に突っ込む形になったが、防壁のおかげで枝が目に突き刺さることはなかった。その代わり、体が防壁に跳ね飛ばされて、別の意味で痛い思いをする羽目になったが。
 ステラがうめいている間に、木々の向こうで激しい音がして、土煙が上がった。追跡対象を見失った光が、木の周辺を破壊したのだろう。ステラは、痛む体に鞭を打って立ち上がる。剣を回収し、反転。立ち込める土煙の中に、自ら飛び込んだ。
 アインの姿を探す必要はない。神族の力は、戦場の中で際立っている。曇った視界に少女の影を見つけると、ためらうことなく踏み込んだ。
 突き、一閃。白い刃がアインをかすめる。振り返り、すんでのところで一撃をかわした彼女は、すぐさま手を振り上げた。しかし、攻撃が来るより早く、ステラは第二第三の突きを繰り出す。
 不思議な力の扱いに慣れているのがアインなら、戦闘に慣れているのがステラである。彼女が近接戦に持ち込み、反撃の隙を封じてしまえば、アインはじりじりと剣戟に押されていった。
 一瞬で、少女の顔に複数の赤い傷が刻まれる。細く息を吸ったアインは、軽業師のように飛びのいた。彼女が駆け出そうとしたとき、教会の方で蒼い光が弾ける。ジャックが細い指をまっすぐ少女に向けていて、その爪先で燐光が舞っていた。
 その輝きが消えぬうちに、アインの足もとが凍りつく。魔力によって生成された氷は水晶のように広がって、少女の動きを封じた。
 呼びかけも、合図もなく。ステラは剣を構えたまま駆ける。
 雪の中に散った神族。彼の願いを思い出しながら、終わらせるために疾駆する。
 白き刃が神聖な輝きを帯びた、そのとき――アインが、右手を高く掲げた。
「――起きて」
 甘く静かな声が言葉を紡ぐ。それを聞いた瞬間、ステラの本能が警鐘を鳴らした。
 足を緩める。その時間は一秒にも満たない。しかし、その間に場の空気が熱く冷たく変質した。
 魔力が渦巻く。ある一点に向かって集束する。氷が粉々に砕け、向かい風をまともに受けたかのような衝撃が人々を襲った。
 ステラでさえも、例外ではない。思わずうめいて顔を伏せ、それでもなんとか転ばずにやり過ごす。状況と仲間の安否を確かめようと顔を上げ――絶句した。
 教会の横手が、桃色の光に包まれている。美しくもおぞましい光の正体は、『図形』。曇天に、巨大な光の図形が浮かんでいた。
「何、あれ」
 ステラは思わず声をこぼす。口先では問うていたが、直感が答えを告げていた。
 あれは、構成式だ。
 巨大で緻密な構成式が、具現化されている。しかも――網のように、じわじわと広がっているではないか。
 魔導学に疎いステラには、詳細に何が起きるのかはわからない。だが、『あれ』が発動した先にある光景くらいは、想像できる。
 ステラはとっさにアインの方を振り返った。氷による拘束から解放された彼女はしかし、その場に佇んでいる。掲げられたままの手のひらの上で、濃密な魔力が漂っていた。
 どちらから対処すべきか。ステラも、共闘していた学友たちも、逡巡した。
 わずかな沈黙の果てに、ステラはアインの方へと踏み込む。気合の声とともに、今度こそ少女に向けて剣を振りかざした。至近距離の一撃は、しかしアインに届かない。切っ先が彼女に到達する前に、見えない壁に阻まれたようだった。
 魔力だ。ステラはすぐに察した。少女の周囲で渦巻く魔力が、『銀の魔力』を押しとどめたのである。
 ステラは歯を食いしばる。もう一押し。あと一歩。剣をねじ込もうと全身に力を込める。魔力が次々刃に流れ、境界で火花が散った。
 限界まで高まった魔力が熱を発する。甲高い音が耳を突き、銀の光が四方八方へ飛び散った。一部は巨大構成式の方へ飛んでいき、一部はアインの魔力を食い破って神族の体を焼く。
「えっ……ちょ、やばくない!?」
 それまで言葉を失っていたナタリーが、構成式の方を見て悲鳴を上げる。その言葉が終わる前に、強烈な光がロアンナ教会をのみこんだ。