熱風が吹きつける。
レクシオは、はっと息をのんだ。視界を強烈な光が覆う。魔力を探る。力の切れ目めがけて、身を投げ出した。
すべてを焼き尽くす光が、レクシオの横すれすれを駆け抜ける。その余波が、ちりちりと皮膚を焼いた。息を詰めて、吐き出す。ゆっくりと立ち上がり、砂煙の向こうに佇む少年を見た。
「よそ見はいけませんよ、お兄さん?」
甘い声が歌う。レクシオは無言で肩をすくめた。その裏で記憶を辿る。
つい先刻まで、別の景色を見ていた気がした。静かな町に住む、朱色の髪の少女の歩み。誰の記憶かは、考えるまでもなかったが、その内容は軽くない衝撃をもたらした。
どこまでも延びていきそうな思考は、ほんのわずかな空気の揺らぎにさえぎられる。
レーシュが指を動かした。空の一部がゆがんで、その向こうから黒い影が次々と現れる。その影がみるみるうちに動物の形になり、色とりどりの目が『灯る』のを見て、レクシオは顔を引きつらせた。
「あれって、あんな簡単に生み出せるもんなのか……!?」
シュトラーゼに現れたのと同じ獣は、まっすぐレクシオの方へ向かってくる。彼はとっさに鋼線を振るった。肉を持たない獣の群れが薙ぎ払われて、消える。しかし、すぐに次が湧いてきた。レクシオはつい、舌打ちする。
「元気に働いてくださいね、しもべたち」
弾んだ声と一緒に、光の雨が降った。レクシオはなんとか最小限の防壁魔導術を展開する。しかし、雨を防いでいる間に獣たちの接近を許してしまった。狼もどきが牙を剥き、怪鳥が突進してくる。
「ええい、くそ!」
レクシオは毒づきつつもそれらをかわし、転がるように距離を取った。やけ気味に、『金の魔力』をたっぷり込めた炎の指揮術を放つ。
そのとき、全身を悪寒が駆け抜けた。
空が、いやにまぶしい。戦場に意識を残しつつ、レクシオは振り返る。空に浮かぶ巨大な構成式を見て、絶句した。
「ほう。あれを撃つんですね、アイン」
自然を燃やさぬ炎の向こうから、レーシュの呟きが聞こえる。
レクシオは、息をのんだ。刻々と大きくなっている構成式は、いかんせん大きすぎて全容を把握できない。だが、一部を見ただけでもろくでもない術がうかがえた。あれが発動すれば、この一帯は間違いなく消し飛ぶ。そして、それだけではない何かが起きるのだろう。
止めなければならない。だが、解析も解体も、している暇はない。
レクシオは得物を持ち替えた。鋼線から、神剣へ。
先ほどの炎をしのいだ獣たちと対峙する。躊躇なく飛びかかってくる彼らを、次々と切り払った。突進してきた猪もどきの背を蹴って飛び、レーシュを守るように立ち上がった熊もどきに斬撃を叩き込む。そして、その勢いのまま、レーシュのもとへ踏み込んだ。
宵の色の目が見開かれる。白い手が動くのと、レクシオの剣が彼に届くのは、ほとんど同時だった。
刃と神の一撃が激しく衝突する。こぼれ出た『金の魔力』と、蒼白い光が混ざり合い、互いを食い合い、爆発した。新たに生まれた膨大な力は、大地を削り、神のしもべをも翻弄する。そして、ほかならぬレクシオもまた、吹き飛ばされた。受け身を取ってもなお殺しきれぬ衝撃と痛みにうめく。その一方、かすかな喜びに目を細めた。望外の幸運である。レーシュから離れ、教会方面に少し近づいた。
一緒に吹き飛んだ剣を鞘に納めて、立ち上がる。光の残滓が飛び散る中で、レーシュが動いたのが、空気の流れでわかった。
「立ち直り、早すぎだろ」
笑おうとして、しかし頬が引きつる。鈍く思考を回しはじめたとき、教会とは別の方向から、魔導術の炎が飛んできた。
「トニーさんは防壁魔導術を!」
「あいよ! 何がなんでも間に合わせてやる!」
風のうなりの向こうから、そんな会話が聞こえてくる。さらに、レクシオとレーシュの間に、オスカーが飛び込んできた。彼は、少年神と異質な獣の大群を前にして、一切ひるまず拳を構えた。
「ここは抑える。さっさと行け!」
呆気に取られたレクシオを振り返り、オスカーが叫ぶ。彼が声を荒らげるのは、たいへん珍しいことだった。
レクシオはうなずいて、今度こそ駆け出す。
走りながら鋼線を抜き、魔力を注ぎ込む。
目指すは、網のように広がった構成式の下。教会の方にいる仲間たちも、間違いなくこれを目撃している。できる限り最善の対応をしてくれるはずだ。
ゆえにレクシオも、彼にしかできないことを、やる。
「間に合え――!」
構成式が、神剣が、ひときわ強い輝きを放つ。
レクシオは、ありったけの力を込めて、鋼線を伸ばした。
※
ステラもまた、遠い過去の夢を見ていた。現在に戻ったとき、あたりは強烈な光に覆われていて、目を開けることすらままならなかった。
まぶしさが落ち着いてきた頃、恐る恐る瞼を開く。そこらじゅうで、バチバチと光の残滓が爆ぜていた。
「なんとか防いだ? 町はどうだい?」
「み、見た感じ、大きな被害、なさそう……!」
「教会は?」
「防壁の中!」
「ひゅうっ! さっすが未来の司祭様……と、魔導の一族!」
遠くから学友たちのやり取りが聞こえてくる。ステラはひそかに、安堵の息を吐いた。さすが、と胸中で呟いて、戦場に意識を戻す。
朱色の髪の少女は、唖然として空を見上げていた。目覚めた様子で、ステラの方を見る。途端、歯ぎしりした。
「よくも、邪魔を……なりたての『翼』のくせに!」
「え?」
その言葉に違和感を覚え、ステラは思わず空を見る。巨大な構成式は、切り刻まれたように、ばらばらになって崩れかけていた。うっすらと、肌に馴染んだ魔力が漂ってくる。
後ろを振り返る。肩で息をしている少年が、得物片手に立っていた。
「レク!」
ステラが名を呼ぶと、レクシオは不敵な笑みをのぞかせる。だが、すぐに身をひねった。横から飛びかかってきた黒い獣を薙ぎ払う。ステラにとっては、初めて目にする異形であった。しかし、驚いてばかりもいられない。怒りと怨嗟をはらんだ、波濤のような声が『翼』たちの耳を貫く。
「いいよ、わかった。二人まとめて殺してやる」
慟哭したアインのまわりで、真紅の光が渦巻く。ステラはとっさに剣を構えた。
光の渦は一本の線となり、眼前のものすべてを切り裂かんと伸びてゆく。ステラは最初、それを今までの光の帯と同じように斬ろうと考えていた。しかし、今回のそれは太すぎる。すぐに頭を切り替えた。
大きく踏み込む。魔力をこめた剣を引いて、突く。白い刃が光をつかの間受け止めて、火花のような音を立てた。
炙るような熱が全身を駆け抜け、微細な震動が筋肉という筋肉を刺激する。ステラは歯を食いしばり、追加で『銀の魔力』を流し込んだ。
「うっ……らぁ!」
刃を起点として、白銀が弾ける。桃色の波が切り刻まれ、水しぶきのように散った。ますます顔をゆがめている少女を見すえ、ステラは挑戦的に笑う。
「どうしたの、アイン? あなたが殺したいのは、あたしでしょ? 憎むべき『銀の翼』、ラメドの仇は、こっちだ」
あえて語気を強めると、少女の瞳に危険な光が宿った。寸暇を置かず、光の帯が投げつけられる。ステラが即座に斬り捨てると、すぐ次の攻撃が来た。一本、二本、三本。絶え間なく伸びる光を絶え間なく斬る。ステラの相貌には、戸惑いも焦りも浮かんでいなかった。
ある程度、性質もわかった。真正面からなら、負ける気はしない。頻繁に襲いかかってくる謎の獣は、レクシオたちがまとめて引き受けてくれている。あらゆるものへの信用が、『銀の翼』をいるべき戦場につなぎとめていた。
光の帯が通用しないとわかると、アインはその光を自分の手もとにかき集める。光はたちまち変質し、黒く禍々しい球になった。アインはそれを躊躇なく投げつける。ステラを狙ってはいなかった。
当のステラは首をかしげたが、黒い球が着弾した瞬間に、敵の狙いを察した。
黒い球は、手で押し潰したやわらかいボールのようにへこみ、地面との接地面から徐々に液状へ変化する。そうして地面を覆った黒は、ステラの方へ向かってきた。
ステラは神剣を地面に突き刺し、『銀の魔力』を注ぐ。黒いものに対抗するように、白銀の輝きが広がったが、それを完全に押しとどめることはできなかった。
ステラは剣を一旦収めた。アインがついでのように放った炎をかわし、教会を目指して駆けた。教会近くの木を登り、枝をつたってさらに壁を上る。黒いものの方に手をかざし、『銀の魔力』を五指に集中させた。彼女の意図に気づいたのだろう、教会前に張っていたジャックとナタリーは大慌てで駆け出している。彼らに心の中で謝りながら、ステラは手元から魔力を放った。
極太の銀の光が、地面を覆う暗黒をのみこむ。あたりが白く染まったのは、わずかな間のことだった。
黒いものは消し去られたが、地面には傷ひとつついていない。それを確かめたステラは、壁を滑り降りて、そこから離れる。再び剣を抜いたとき、『銀の翼』を見つけたアインが、憎悪を隠そうともせず彼女をにらみつけた。
ステラの目に映る相貌が、少し前に『視た』少女の姿と重なった。夢幻のような時空を漂っていたとき、当時の神兵の振る舞いに、感じないはずの吐き気を催した。血の海に放り出された少女の心に、共鳴しかけた瞬間さえあった。だが、だからこそ、彼女の敵であらねばならない。
小さな少女の姿がかき消える。ステラはひととき目をみはったが、すぐに五感を研ぎ澄ませた。
――背後、上空に、空気の揺らぎを感じ取る。
ステラが振り向いたその先で、アインが手を振り下ろす。二人の間で桃色の光が弾け、花火の残滓のように散った。ステラは、自分に向かって降り注いだそれを、銀の魔力と剣で打ち消す。すべてを捌ききったところで、アインの姿が再び消えたことに気づき、眉を寄せた。迷いなく飛び退る。
すぐ下から、殺気が押し寄せた。地上へ下り、手に光をまとわせたアインがステラへと迫る。少女の殺意を体現したかのように、鋭利な形に変わる光を、ステラは静かに見すえていた。