第四章 永い旅の果て(3)

 甲高い声が戦場を貫く。この世のものではない力が大気を熱する。常人であれば卒倒しそうな状況下で、ステラは流れるように、剣を敵の方へ向けた。いっそ冷徹と呼べるほどに落ち着いた佇まいである。実際、彼女の心は凪いでいた。
 この光景が見えているであろう学友たちは、加勢に来ない。町を守るための警戒と、異質な獣への対応にかかりきりになっているのだ。
 ステラとしては、むしろ、その方がありがたい。きちんと、ひとりで、決着をつけられる。
 刺突の構え、下から来る。神族の少女の動きを見切ったステラは、身をひねってその一撃をかわした。鋭利な光が二の腕の表皮をかすめた瞬間、剣を振るう。アインはなんと、それを受け止めた。二人の間に虹色の火花が散る。ステラは一度剣を引き、素早く叩き込む。飛び散った『銀の魔力』により、アインが生んだ光は砕かれ、純白の刃が彼女の体を切り裂いた。
 アインの瞳孔が急激に収縮する。体が大きく震えたのち、後ろ向きに倒れた。ステラはゆっくりと剣を収める。あらゆる感情に蓋をして、セルフィラ神族の少女を見下ろした。
 小さな体に大きな傷が刻まれている。そこから白い光がこぼれ出ていた。しかし、アインの瞳にはまだ光がある。右手が何度も空を掻いた。
「まだ……まだ、だ……まけ、ない……アタシは……まだ、ラメドのかたきっ、とってない……!」
 かすれた声は、しかし驚くほどの形と圧力をもって、ステラのもとに届いた。ステラは、はっと息をのむ。頭上の高いところで、神の力が急速に膨張するのを感じた。
 天を仰ぐ。桃色の光球が浮いていた。火花を散らしながら、降ってこようとしている。
 ステラは徒手のまま身構えた。剣を抜いている暇はない。両手に魔力を集中させようとしたとき――金色の閃光が、桃色の光球を貫いた。
「悪いけど、やらせねえよ」
 低い声が、響く。レクシオが、神剣を抜いたままステラの方へ歩いてきた。ステラが名を呼ぶと、彼はちらと目配せしたが、いつものような受け答えはしなかった。それこそ、あらゆる揺らぎを押し込めた瞳で、アインを見下ろす。
 アインは大きく息を吸った後、何かに気づいたように目をみはる。誰かの名前を呼ぶように唇が動いた。それを噛み潰すように、強く歯を食いしばる。彼女の移ろいを見たレクシオは、一瞬ぎゅっと眉を寄せて、口をつぐんだ。だが、すぐに無表情の仮面をかぶり直して、神剣を持ち上げる。
「――セルフィラ神族である君に、ひとつ訊きたい」
「何さ」
 アインが不服そうに返す。もう、いつ消滅してもおかしくない状態だというのに、その声には芯があった。レクシオも、あえて淡々と尋ねる。
「君たちの、一番の目的はなんだ? 何を企んでいる?」
「……知らないよ」
 数秒のの後、返った答えも、淡白だった。
 ステラとレクシオは、思わず目を合わせる。その間に、アインの傷からこぼれる光が、いっそう強くなった。
「アタシは、そんなの、しらない。うつくしい、せかいとか、かみさまのつとめ、とか、そんなの……ただ、ラフィアに文句……いって……ラメドと、ずっと一緒に、いたかっ……た」
 小さく動く唇が、細く言葉を紡ぐ。ステラたちは、揃って息をのんだ。アインが、そんな二人を見て、いびつに笑う。
「あなたたちも、かわいそー……ただの、おとこのことおんなのこなのに……ラフィアのかわり、させ、られて……」
 吐息のような嘲笑が、空気を揺らす。同時、華奢な手足から力が抜けた。すべての輝きが消え失せ、あたりに土の匂いが立ち込める。
 ステラは、沈黙した少女を見下ろす。神剣がつけた切創からは、光も血もこぼれない。嗤った顔のまま、硬直していた。たまらず目を伏せる。彼女の最期の言葉が、ステラの心の深いところに食い込み、体すらも縛した。
「ステラ」
 呪縛を解いたのは、ささやきと、肩を叩く手。
 ステラは顔を上げる。すぐ隣に、レクシオがいた。神剣を収めて、片翼を見つめる。
「この子は最期まで、セルフィラ神族だった」
「……うん」
 ステラはうなずいた。頬を軽く叩いて、己を叱咤する。その上で、レクシオを振り返った。
「ごめん、レク。嫌な役回り、させちゃって」
「さて、なんのことだか?」
 レクシオは、おどけたふうに笑って、手を振る。ステラは小さく吹き出した。少し軽くなった手足を動かして、その場に膝をつく。
 中途半端に開いたアインの瞼を、優しく下ろした。姿勢を正し、手を組んで、目を閉じる。隣や周囲で空気が動いたのを、ステラは肌で感じていた。彼の魔力が薄く広がり、自分たちを包み込んでいることも。
 祈る。たとえ偽善者と罵られようと、ラフィアの手下の弔いなど受け付けぬと拒まれようと――きっとそれが『翼』であることだ。
 黙祷を終えて、立ち上がる。そのとき、目の前の少女の躰が奇妙な音を立てた。レクシオが目をみはる。ステラも、思わずひっくり返った声を上げた。
 アインの体が、ぼろぼろと崩れ出したのだ。ラメドのそれとは違う、生々しい崩壊であった。皮膚は乾いて風にさらわれ、髪は焦げた糸屑のように切れて崩れる。異様な臭気が漂い、肉体を形成していたものが、失われていった。最後に残ったのは、やけにきれいな骨のみである。
「……人間に戻ったんだな」
 レクシオの呟きで、ステラも納得した。
『アイン』になる前の彼女は、ステラたちよりはるか昔に存在した人である。神の力が抜ければ、その肉体は朽ちるしかないだろう。
『アインを……あの子を、解放してやってくれ』
 ステラは、今は亡き神の言葉を思い出す。
 彼女を斬ったことが、正しかったとは思わない。これが真に『解放』だったのかどうかは、誰にもわからない。
 ただ、目の前の幼い少女が、神としても人としても、生を全うしたのは確かであった。
 ステラは遺骸に向かって敬礼する。レクシオも無言で倣った。
 沈黙。そして、姿勢を解き、体の力を抜いた、その瞬間。
「――お二人とも、後ろ!」
 ミオンの悲鳴じみた声が、天を打った。
 ステラが再び抜剣するより早く、レクシオが振り返って手をかざした。黙祷の時よりうっすらと広がっていた魔力が濃くなり、擬似的な防壁を生み出す。ヂリヂリと耳障りな音を立て、その向こうで力が弾けた。数秒後、盛大な破裂音とともに、双方が弾け飛ぶ。
「レク!」
「平気平気」
 軽い返答はしかし、舌打ち混じりだ。眉間にしわを寄せた彼の少し上に、少年が『下りてくる』。気が抜けるような拍手が響いた。
「しもべたちがみんなやられた上に、アインまで消されるとは。想定の範囲内とはいえ、困りましたねえ」
 レーシュは、ほほ笑んだ。遊びを楽しむ子供のような無邪気さと、不気味な静けさが同居している。金銀の髪の下で、宵の色の瞳がちらと動いた。
「人間の割には敏感な娘もいるようですし」
 彼が捉えたのは、教会の戸口に立っているミオンだった。彼女は、背後の神父をかばうように身構える。
 ステラは剣の柄を握る手に力を込めた。しかし、彼女の動きを制するように、レクシオが半歩踏み出す。
「まだやる気なら、お相手しますけど?」
 レーシュは大仰に手を振った。
「そうですねえ。私としても、この場を更地にしてしまいたい気分ではありますが……やめておきます。今、あまり派手に力を使うと、魔女や獣に勘づかれかねないので」
 口もとに指を添えた少年神は、やけに冷たい瞳をレクシオに向ける。
「すべての神録しんろくを我らが手中に収めたかったのですが……あなたが警戒しているうちは、奪えそうにありませんね。まあ、及第点というところでしょう」
 ステラは身を固くした。『金の選定』直後のことを思い出す。『翼』が二人揃った瞬間に、両方を殺す。それを企てたのはおそらく、レーシュだ。今度は何を考えているのだろうか。
 しかし、ステラが疑問を口に出す前に、レーシュは背を向けた。
「それでは、またお会いしましょう。ラフィアの『翼』よ」
 彼はひらりと手を振る。ステラは、剣を用いず『銀の魔力』を放った。しかし、白銀の光線が届く前に少年神の姿が消える。
 燃料の供給を断たれた光線が、雪のように解けて消える。――もはや、セルフィラ神族の気配は一片たりとも漂っていなかった。
 ステラは、すがるようにレクシオを振り返る。彼は、降参のしぐさをして、かぶりを振った。当代『金の翼』の六感に引っかからないのならば、何者にも追跡は叶わない。
 風が吹く。冷たいそれは、心の隙間にまで吹き込んでくるようだ。ステラとレクシオは顔を見合わせ、ため息をついた。