第四章 永い旅の果て(4)

「『クレメンツ怪奇現象調査団』、点呼!」
 戦いの跡が生々しく残る現場に、明るい声が響き渡る。団長、ジャック・レフェーブルの呼び声に、一人一人が答えていった。『調査団』の面々は、ひとまず無事らしい。ステラは心の底から安堵した。
「ああもう……あと何回、こんなこと続けりゃ済むの……」
「何回だろうなー。少なくとも、敵さんはまだまだやる気っぽいしなあ」
 ナタリーとトニーが草地に寝転がる。それを見たジャックが苦笑した。三人とも、普段通りに振る舞っているが、顔ににじむ疲労は隠しきれていない。
 彼らに駆け寄ったステラは、弾むように頭を下げる。
「みんな。援護いろいろ、ありがとね。あと……なんかごめん」
「どういたしまして! ステラが無事なら、それでいいさ」
 彼女たちの団長は、どこか得意げに片目をつぶる。彼に同調するように、ナタリーたちが手を振った。
「ジャック」
 そこへ、オスカーがやってくる。背後ではブライスとシンシアがじゃれあっていた。
 呼ばれたジャックは、優雅な所作で振り向く。
「オスカー! レーシュたちと戦っていたのは見えたけれど、無事でよかった」
「なんとかな。連中が『翼』に気を取られていてくれて、助かった」
「『研究部』のみんなは……元気そうだね」
「ああ。こちらも、今しがた点呼を終えた」
 オスカーはうなずきながら、よたよたと駆けてきたカーターを引っ張り寄せる。さらに、ミオンとセレスト神父もやってきた。
「すっかりみなさんにお任せしてしまって……申し訳ありません」
 セレスト神父は、恐縮したように頭を下げる。ステラは、あわあわと顔の前で手を振った。
「いえいえ。神父様こそ、迅速な対応、ありがとうございました」
 今回、カール・セレストが先に動いていてくれなければ、もっと大変な戦いになっていただろう。二柱の神族の顔を思い出し、ステラはこみ上げた苦味をかみ殺した。
 身を縮めていたセレスト神父は、足もとに静かなまなざしを注ぐ。
「それと……『彼女』のお身体は、こちらで預かってもよろしいでしょうか。しかるべき手続きを行ったのち、当教会で埋葬したく存じます」
 彼が見ているのは、場に残された少女の骨だ。見た目はきれいだが、下手に触れれば崩れてしまいそうでもある。
 ステラとレクシオは、互いを見た後、うなずいた。
「よろしくお願いします」
 彼らが彼女にできることは、もうない。ここから先は専門家に任せた方がいい。そう判断して頭を下げた二人に対し、セレスト神父も「承りました」と礼をした。
 ひととき、厳粛な空気が場を包む。それを揺らしたのは、軽薄を装った声だった。
「さて、あとは――」
 レクシオが外衣コートのポケットに手を突っ込む。
「これだな」
 そこから引っ張り出したのは、ハナズオウを思わせる赤紫色の宝石だった。ステラはつい前のめりになる。
「それが……今回見にきた『物』?」
「おう。レーシュが言ってた『神録しんろく』ってやつだろう」
 言って、レクシオは神父に目配せする。セレスト神父は「間違いありません」とうなずいた。
「神録……神の記録、か。なるほどな」
 オスカーが、顎に指をかけ、呟く。彼の左腕に、ブライスがじゃれついた。
「何が『なるほど』なのさ、ぶちょー」
「意外と安直な名だと思っただけだ」
「……ぶちょーにだけは言われたくないと思うよ、それ」
 榛色ヘーゼルの目が細められる。オスカーは、無言で彼女を引っぺがした。
 そんなやり取りをわき見しつつ、ステラとレクシオは石を見る。磨かれたような輝きを放つ石の表面には、何やら文章が彫られていた。
「あの、神父様。確認なんですけど、これ、見えますか?」
 ステラが石を神父に見せる。彼は――「ええ、見えますよ」と言った。
「いつの時代の、どこの国の言葉かはわかりかねますが。詩のようです」
 ――周囲の空気が、凍りついた。互いに目配せした学生八人が、ステラたちのもとへ駆け寄る。石をのぞきこむと、「ほんとだ」「なんか書いてあるわね」「おおお……今回は見えるぞー!」と、めいめい好き勝手に騒ぎ出した。
「今回は『翼』だけに見える文章ってわけじゃないのね」
「みたいだな。そんじゃ、内容を確かめるとしますか」
 レクシオの言葉にうなずいて、ステラは彫られた文章に指を触れる。目を閉じて、しばし待つ。
 しかし――いつまで待っても、何も起きなかった。
「…………あれ?」
 ステラは、ぱしぱしとまばたきする。石を相方に手渡した。
「何も聞こえない」
「どれ」
 レクシオも、すぐさまステラに倣う。
 しばしの空隙。その果てに、彼は瞼を開いて、首をひねった。
「……どういうことだ?」
 ざわめきが広がる。『調査団』と『研究部』の面々も、顔を見合わせ首をひねっていた。
 ステラも急激に不安になって、レクシオと石を交互に見た。
「やっぱり、何も聞こえない?」
「ああ」
「なんでだろう。実はこれ、神録じゃなかったとか?」
「いや……」
 レクシオが、ハナズオウの色をした石を弄ぶ。
「文章は聞こえてこなかったけど、妙な感覚はあった」
「妙な感覚? どういうこと?」
「なんつーのかな……。誰かが出ていったばかりの部屋みたいな、というのか……」
 歯切れ悪く語って、レクシオは乱暴に頭をかく。かたわらでそれを聞いていたミオンが、眉を下げた。
「またセルフィラ神族に先を越されたんでしょうか」
「いや、違うと思う。神様の力の気配はしなかった」
 レクシオは苦々しげに推測を否定する。うーん、とうなった後に、神父を呼んで、石を差し出した。
「とりあえず、これは一旦お返ししますね」
「よろしいのですか?」
「何も起きない以上、俺たちが持ってても意味ないんで。あ、襲撃が不安であれば預かっておきますが」
 セレスト神父は少し悩んだようだった。しかし、ややして首を縦に振る。
「わかりました。こちらでお預かりしましょう。私の方でも、何か手がかりがないか、調べてみます」
『翼』の二人は、揃って「よろしくお願いします」と言う。
 話がまとまると、レクシオが盛大なため息をついた。
「やれやれ。わからんことだらけだなー……とと」
 かと思えば、唐突によろめく。ステラはとっさに幼馴染の体を支えた。
「ちょっとレク、大丈夫?」
「悪い悪い。ただの立ち眩みだよ」
 レクシオは、へらりと笑ってステラから離れようとする。そこへ、オスカーが――なぜか足音を殺して――やってきた。
「レクシオ」
 二人の背後に立った彼が、静かに呼びかける。呼びかけられた側は、目を丸くして振り向いた。オスカーは彼の肩をしっかとつかむ。
「へ?」
「おまえ、さっきから何か隠してないか」
 再び、周囲の空気が凍りついた。先ほどとは違う意味で。
 レクシオは戸惑った様子で同級生を見上げる。
「別になんも隠してないけど……」
「そうか。なら、戦いの最中に目を気にしていたのも気のせいか?」
 ステラは眉を跳ね上げた。ほぼ同時に、レクシオの頬が引きつる。
「見てたんすか」
「当たり前だ」
 オスカーがさらりと答える。同時、ステラも動いた。レクシオの腕に指を添えて、脈を測る。異常なし。次に、額と額をくっつけた。
「ちょ!? いきなりなんだよ!?」
「…………微熱」
「はい!?」
 ステラが宣告すると、唖然としていた『調査団』の面々も動き出す。四人中三人――とカーター――がレクシオを取り囲んだ。
「はーい。連行、連行ー」
「あんたはちょっと反省しなさい」
「だめじゃないですか、レクシオさん! 失明したいんですか?」
「ちょ、まて、一気に来るな! てか、動いた直後で体温高いだけじゃねえの!?」
「それを差し引いても顔色が悪い。あたしをごまかせると思うな」
「ステラの目が怖い!!」
 かしましい学友たちを尻目に、ジャックがセレスト神父を呼んだ。
「神父様。この近辺に泊まれるところはあるでしょうか?」
「ああ。それでしたら……」
 神父は、苦笑しつつ、宿を教えてくれる。
「そんじゃーひとっ走り、手続き済ませてくるよー!」
 聞き耳を立てていたブライスが、元気よく駆け出した。シンシアが慌てて後を追う。
「こら、ブライス! 一人で行くんじゃありません!」
 甲高い声と忙しい足音が、寒空を切り裂いた。

 その晩、カール・セレスト神父は、自宅の書斎にこもっていた。
 手もとには大量の資料と、赤紫色の宝石――神録。骨ばった手で忙しなく紙をめくりながら、文字の海と宝石の間を行き来している。
 神録の『中身』を見る方法は、未だ見つかっていない。
 実のところ、彼は最初から資料に期待してはいなかった。女神の選定および神々の闘争のことは、ほとんど口伝で受け継がれている。神録の話が文字で残っているとは考えにくかった。
 セレスト神父は、再び宝石を見つめる。やはりこれは神録ではないのだろうか。それとも、何かが起きたのか。『金の翼』が仰っていたことも気にかかる。誰かが出ていったばかりの部屋のような。
 ふいに、小さな音がこだました。セレスト神父は振り返る。わずかに開いた扉の隙間から、息子が顔をのぞかせていた。
「キリク。まだ起きていたのか」
 セレスト神父は手を止めて、次男と向き合う。叱られたとでも思ったのか、彼は唇を尖らせた。
「父さんこそ」
「父さんはお仕事だよ」
「神父が、家の書斎で仕事?」
 セレスト神父は苦笑した。普段はもの静かなキリクだが、自分が気になることに関しては弁が立つ。誰に似たのやら、と思いながらも、神父は人の親として言い募った。
「とても大事なお仕事だ。……ほら、もう寝なさい。今日は疲れただろう」
 今日、家族には町から少し離れてもらっていた。息子たちに『お使い』を頼むという体で。むろん、激戦の現場から遠ざけるためだが、いきなり慣れないことをやって戸惑った部分もあっただろう。キリクは、聖職者見習いの仕事を苦手としている節があるから、尚更。
 キリクはこくんとうなずいた。が、すぐに目を瞬く、彼の視線は、机上の石に向いていた。
「父さん、それ……」
「ん? ああ。キリクも見たことがあるのか、これ」
「うん」
 キリクはどこか申し訳なさそうに答えた。しかし父は咎めなかった。
 元々、この神録は本の間に挟まっていたのだ。息子たちが掃除中に見かけたとしても不思議ではない。もっとも、なぜそんなところにあったのか、セレスト神父ですらよくわからないのだが。
「何に使うものなの、それ?」
「詳しくはわからない。今、それを調べているところだ」
「ふうん」
 キリクはふてくされたような声を出す。セレスト神父は「寝なさい」と重ねて言い、宝石と資料に向き直った。しかし、子供の視線は離れない。
「『ひとつの目で庭のすべてを監視することはできなかった。ゆえに、彼はもうひとつの目を生んだ』……」
 ややあって。ささやきが、神父の背を叩いた。彼は最初、それを聞き流した。が、次の時、頭の中でチカリと光が弾ける。勢いよく、戸口の方を振り返った。
「キリク。今、なんと言った?」
「え、あ、ごめんなさ――」
「いいから。もう一度、ちゃんと言いなさい。なんて言ったんだ」
 詰め寄るのは逆効果だ。わかっていても、抑えが利かない。セレスト神父がにらんでいると、キリクはしょんぼりとうなだれて、書斎に入ってくる。
 彼が語った内容に、セレスト神父は愕然とした。